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インフォームドコンセント

 先日、ハラボジが亡くなった。入院してからあっと言う間のことだった。家族から尊敬され、とても愛されていたハラボジの死は深い悲しみを私たち家族にもたらした。

 病院に勤務する私は医学の力でもどうにもならないことがあるということを十分わかっているつもりであった。しかし、いざ家族のこととなると奇跡を願い、その回復を信じていた。そんななか、家族という立場から医療の現場に接してみると全く違った印象を受けた。

 現代、インフォームドコンセント(病気の説明と同意)は当たり前のことで、私自身も病名や治療法などは詳細に本人に伝えるべきと思っていた。だが、高齢者やその家族にとって医学用語自体難しく、実際ハラボジは医師から説明を受けたあと、より強い不安を感じてしまった。そればかりではない。看護師を呼んでもすぐに来なかったり、冷たい言い方をされたりと、私も家族も不信感を感じずにはいられなかった。私にとってはその忙しさや現実問題は嫌なほど理解できる。このような思いは私だけでなく、病気の家族を抱えたことがあれば、一度や二度は経験する思いなのかもしれない。

 入院中、ハラボジはレントゲンを撮るたびに私を思い出すと言っていた。今は私も患者さんと接するたびにハラボジを思い出す。生前多くを語らなかったハラボジだが、その姿から多くを学んだ。この経験もまた、そうだった。患者や家族の思い…。これから私に何ができるのか。空の上からハラボジがそっと私を見守っている。(康麗順、放射線技師)

[朝鮮新報 2005.7.25]