弟の結婚 |
「たんぱく質の補給に行っていい?」 弟はそんな電話とともに、時々ふらりとわが家にやってきた。 大学卒業後12年間、九州の田舎に帰らず、東京で一人暮らしの弟にとって、私はそばにいるただ一人の肉親だった。外食続きの痩せた彼のために、私は冷蔵庫を空にするほどひたすら「家庭料理」を作り続けたものだ。 弟は五人兄弟の末っ子だが、姉たちが進学や就職で早くに家を離れ、思春期の大事な時期をほとんど一人っ子で過ごした。 地元の高校に進み受験シーズンを迎えた頃、両親は彼の反抗に手を焼き、東京で働いていた私に相談してきた。その反抗の根底に、朝鮮人であることへの苦悩と挫折があったことを、朝鮮大学校の受験のために上京した彼は話してくれた。 人格形成の大切な時期に自己否定に苦しむ葛藤は、多感な若い心に癒えることのない傷を残す。 やがて、父母と私の説得によって彼は初めて民族教育を受け、言葉と歴史を取り戻していく。在日を呪縛する差別の正体を知った時、彼は自らの生きる座標を見出し、総連の出版社で働くことを選んだのだった。 そんな彼が、良縁に恵まれ、このたび結婚した。 朝鮮の古典衣装をまとい、ウリマルで誓いを述べ、朝鮮の友人たちの祝福を受ける弟の姿は、父母の記憶に残るかつての弟の対極にあった。 家庭を築き、やがてわが子が生まれる時、彼は愛し愛される無償の喜びを味わい、一人の人間としてゆるぎない自信を取り戻していくことだろう。2人の前途に、心からの祝福を。(金蓉子、東京都在住、団体職員) [朝鮮新報 2005.2.21] |