会社移転−多くの励まし得た街 |
会社移転のため、長年、馴れ親しんだ街、東京・飯田橋(神楽坂)を離れ、文京区白山の出版会館で働くことになった。 7階建ての、遠くからみるとなかなか瀟洒なビルだったわが社のたたずまい。青春をここで燃焼し尽くした多くのOBたちの悲しみは想像にかたくない。移転のニュースを知った先輩たちが、社を訪れて別れを惜しんでいた。 記者にとってもこの地は、第2の故郷のような愛着のある場所だった。ウリマルを教えてもらった学び舎でもあり、記者活動を通じて、さまざまな人々と出会い、触れ合った人生の「十字路」のような場所だった。 そして、地域の人々との交わりも楽しかった。会社の隣の病院で子どもを出産した時、何かと適切なアドバイスをしてくれた看護師長が、退院の時「これからは子育てと仕事を両立ね。しっかりがんばってください」と励ましてくれた。はつらつとしたその後ろ姿から無言の勇気をもらった気がする。 また、いつもお団子を買いにいっていた老舗のお菓子屋の女将さん。情勢が厳しくなって、右翼の街宣車が新報社前に集結し、騒然となっても、「本当に困った者たちだ。他人の迷惑をかえりみず、無法を働くのだから」と怒りながら、団子をたくさん包んで「みんなで食べて」と手に持たせてくれた。95歳で亡くなるまで変わらぬ態度で見守ってくれた。英語も話せる明治生まれのモダンな女性だったが、人としての気骨とおおらかさが今でも懐かしい。 悔しいことがあっても、あの路地裏でトンムたちと一杯飲むと気が晴れた。そんな場所を白山でも見つけたい。(粉) [朝鮮新報 2005.12.19] |