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「ウリ」の意味−一つの民族、世界との共生

 最近、と言うわけではないが、「ウリ」という言葉をよく耳にする。「ウリ」とは、話し手が自分側の複数の人を一度に指すときに使う代名詞で、朝鮮民族はこの「ウリ」を大変好んで使っている。

 「ウリチプ(私たちの家)」「ウリナラ(私たちの国)」「ウリオモニ(私たちの母)」。一般会話の中で、「我が家=ネーチプ」「我が国=ネーナラ」「私の母=ネーオモニ」とは使わない。ひとり暮らしであっても「ウリチプ」、ひとりっ子であっても「ウリオモニ」なのだ。

 先日、早稲田大学で開かれた講演会で、南朝鮮の詩人、高銀氏は、「ウリ」という言葉は、「私が、私自身であると同時に、すべてのものと共に生きる存在である」ことを意味すると語った。

 その「ウリ」を愛する民族が、外部勢力によって半世紀以上もの間、分断の苦痛を強いられてきた。その苦しみは、分断を克服し、わが民族の力で統一を成し遂げるパワーとして、歴史的な6.15共同宣言の採択へとつながった。

 共同宣言文の中にある「ウリ民族同士」の言葉には、朝鮮民族の「共に生きる」という力強いメッセージが込められている。

 共同宣言発表から5年。統一の苗木は、今、膝丈くらいに育ったのだろうか? 一人ひとりの胸の内にいまだ残る分断の壁を打ち崩しながら、統一の苗木を「ウリ民族」の手で大切に育てていきたい。

 「ウリ」という意識の中には、決して排他的ではない、全世界をも包み込むほどの大きな愛情が込められているのだから。(潤)

[朝鮮新報 2005.6.13]