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花の名前−民族固有の表現

 ある夕食時のこと。「花の名前を朝鮮語と日本語でどれだけ言えるか」というのがわが家の話題になった。タンポポ、つつじ、ひまわり…。家族4人で頭をひねり、次々に花の名前をあげていく。

 母が「コスモス」を「詞紫軒寡」と言ったのには驚いた。コスモスが風にゆれる様を見てつけたのだろう。「詞櫛詞櫛」(そよそよ)と風に揺れている様子が目に浮かぶようだった。

 固有語は、その国や民族、土地の歴史とともに変遷、発展した特有のものである。謝(手)、降(足)、去(背中)、鯉(首)、脊(口)はいずれも身体部分を表す固有語。

 朝鮮語は擬声、擬態語が豊富な言葉で、詩人の茨木のり子さんは、著書「ハングルへの旅」(朝日文庫)で、粉雪が降り積もった上を歩くときの「伺球究伺球究」という表現を「何とも素晴らしい」と評価している。

 お気に入りの絵本に南朝鮮の《販販 娃陥》(「ゆうゆうといく」クォン・ジョンセン作 国民書館)というのがある。擬態語が物語りの重要なポイントとなっており、単純な言葉のつながりで、最後にしっかり「オチ」があるたいへん面白い作品だ。朝鮮語の楽しいリズムとユーモラスな絵が笑いをそそる。声を出して読むと、朝鮮語の響きが生き生きしてくる。

 こんな話を尽きることなく語ると、友人は「その語感、いったいどうやって身につけ培ったの?」と聞くが、家庭でのやり取りと学校で学んだとしか答えようがない。

 思えば今となっては幼い頃、呪文のように聞いていたハルモニ達の話し声や民謡などは聞けなくなった。本や映画、ドラマを通じて、民族教育を通して培った語学力にもっと磨きをかけなくては。(潤)

[朝鮮新報 2005.5.23]