心に刻む−「日本は隣国の信頼得られぬ」 |
ドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏の「過去に目を閉じるものは、現在にも盲目となるだろう」の言葉はあまりにも名高い。「ドイツの良心」と呼ばれ、在職中から一貫して「どのように償っても克服することが不可能なほど、ドイツの過去(の罪科)は重い」と訴え続けてきた。 一部マスコミや保守系政治家から「大統領のドイツ及びドイツ人認識は、余りに厳しすぎる」と批判されながらも、同氏は大統領在職中、ナチが犯した「原罪」を背負うのがドイツの責務であると繰り返し、後を絶たない外国人排斥の動きに警鐘を鳴らすことを最後までやめなかった。 その姿勢は現在のシュレーダー首相にも受け継がれている。1月25日、アウシュヴュィッツ委員会に招かれ、ベルリンの式典で演説した同首相は、「私は民主的ドイツの代表者として、虐殺された人々と、また、とくに強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明します」と語り、次のように言葉を継いだ。 「現在生存しているドイツ人の圧倒的多数は、ホロコーストの罪を負ってはいません。彼らは特別な責任を負っています。国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務であります…」 日本とは根本的に異なる歴史認識である。ついこの間も「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減って良かった」と文科相が豪語するありさまだ。「日本は隣人の信頼を得て、国際社会の指導的国家となるのは難しい」(盧武鉉大統領)と言われて当然であろう。(粉) [朝鮮新報 2005.3.28] |