|
第17回北南閣僚級会談が13日から16日まで、朝鮮半島最南端の済州島(道)で開かれた。同地での閣僚級会談は2000年9月以来2度目の事になる ▼済州道といえば、1998年から全道あげて特産物のミカンなどを北に贈る運動を展開してきた。今年も、閣僚級会談開催期間中の14日に第1便が南浦港めざして済州港を出発した。今回はミカンと人参2000トンを来年1月11日まで5回に分けて贈るという ▼こうした済州道民の温かい同胞愛に感謝の意を込めて2002年、北側が済州道民たちを平壌に招待。以後も、道知事をはじめとする各界人士が訪問団を構成して平壌や白頭山などを訪れ、さらには北南のスポーツ、芸術交流が同道で実現するなど北南交流が活発な地域の一つだ ▼済州道は「4.3人民抗争」の地として朝鮮民族の記憶に深く刻み込まれている。会談を同行取材した本紙記者によると、初日の国務総理主催晩さん会に招待された各界道民たちの中には当時、米国の支援を受けた傀儡、李承晩ファッショ政権の野獣さながらの蛮行によって犠牲になった遺族たちも多く含まれていたという。李承晩にすれば政権維持のために、米国にとっては「反共の砦」−南朝鮮を継続して掌中に収めておくために、無差別の殺りく行為を繰り広げた ▼その地でこんにち、北南が米国とは一線を画し、6.15共同宣言の「わが民族同士」の理念を具体化し、共存共栄、自主統一に向けての会談を行っているのだから、歴史の巡りとは奥の深いものだと思い知らされた。(彦) [朝鮮新報 2005.12.17] |