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春・夏・秋・冬

 2002年9月、小泉首相の第1次訪朝を手掛けた田中均元外務省審議官が最近、相次いでテレビ出演したり雑誌に寄稿したりと、活発に活動している。外務省を退職したのは巷間、希望していた先の大使赴任が適わず、「意志半ば」での選択だったと指摘されている

▼小泉首相の第1次訪朝時、いうまでもなく金正日総書記が会見、朝・日平壌宣言が発表された。日本側の表の顔は小泉首相だったが、侵略の歴史清算のため朝鮮に最高指導者を送りこんだ田中氏の志向性、手腕に拍手を送った識者は少なくなかった。しかしその一方で、拉致問題を取り上げて「売国外交を主導した」と激しい非難にさらされた。その急先鋒は安倍幹事長代理や石原都知事らである。自宅に爆弾まで仕掛けられるという災難も被った

▼外交とは「国益を追求すること」であるが、田中氏の見解は「国益追求」にプラスがある

▼「外交とは国際社会と調和した国益の追求」であり、「国際社会と調和していくためには、一時的には日本の利益をある程度は妥協させなければいけない部分がどうしても出て」くる。だから「長期的に見た場合、国際社会との調和をはかるなかでしか日本の国益を実現することはできないと思う」(月刊「現代」11月号)。侵略の事実を正当化しようとする昨今の日本社会にあって、田中氏の指摘はうなずける

▼第4回6者会談共同声明には、朝・日平壌宣言の確認、履行が明記された。田中氏の「経験と智恵」を、今後、誰がどのように生かしていくのか、ちょっと注目したい。(彦)

[朝鮮新報 2005.10.13]