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春・夏・秋・冬

 長年通い慣れた新宿区飯田橋から文京区白山に移転することになった。地理的にはそれほど離れてはいないが、やはり一抹の淋しさは拭い切れない。奇しくも今年は、朝鮮新報が創刊して60年になる節目の年である

▼朝鮮新報創刊からこんにちまでの路程は、日本の不法、不当な植民地支配から解放された1945年8月15日以降、朝鮮民族の誇り民族性を回復し、自主、自立国家の一員として異国にあっても正々堂々と生きていこうと、在日同胞の権利獲得と擁護、とくに民族教育体系を整備して実施してきた在日朝鮮人運動、朝鮮総聯の運動と表裏にある

▼この間、GHQと日本当局の弾圧によって在日朝鮮人運動は激しい弾圧を受け、本紙も発行停止に追い込まれたこともあった。その弾圧などによって、霧散しかねなかった危機を乗り越えられたのは金日成主席の路線転換方針があったからだ。入社当時、その苦難の時代、そして再生に至る生々しい経緯、出来事を先輩記者たちから聞かされたことを思い出す

▼時代は変わって21世紀。インターネットが全盛である。当然、ニュース報道の需要も変わった。読者層も変化しつつあるし、それに伴い要望も多種多様になった。活字離れは久しい

▼本紙もこうした状況の変化に対応して朝鮮語、日本語各4ページ計8ページに、さらに編集内容も同胞生活密着型へと改善した。この間、新聞はなくなるのか、という問いは繰り返し行なわれてきたがまだまだ健在である。移転を機に、本紙のさらなる読者密着型を目指して邁進していきたい。(彦)

[朝鮮新報 2005.9.29]