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ソウルで開催された8.15民族大祝典。これまでソウルでの北南対話やイベントなどを取材してきた本紙記者は今回、あらためて現地で大祝典を取材する中で、ほんの1年前と比較して大きく様変わりした南社会の姿に驚いていた ▼筆者も経験があるが、かつてのソウルでの取材は、南警察・治安当局のアリ一匹通さないほどの厳重な警備、監視の下に行われた。南市民との対話、接触など、非常手段を使わなければ不可能だった ▼北代表団との接触を求める市民団体、学生たちも自宅軟禁など、事前に封じ込められて一歩も身動きが取れないような状態だった。それでも、北代表団との接触を試みて警備網を破ろうとした学生たちは、それこそ木っ端微塵に粉砕されてしまった ▼90年、ソウルでの取材中に偶然、戦闘警察が学生、市民たちを力づくで封鎖しようとした光景を目の当たりにした。ジュラルミンの盾や棍棒で無差別に殴りかかる戦闘警察によって、現場は血の海と化した。現場は広い通りだったが、その裏通りはこれまた、戦闘警察がびっしりと配置されていて驚いた体験をしたことがある ▼それが今や、その弾圧の主要対象になっていた市民、学生たちが堂々、南の代表として大祝典に参加した。南警察当局は、大祝典に反対する保守勢力、団体の動向に目を光らせ規制に当たっていたという。時代は時と共に変わるものだが、まさに本紙記者が伝えたように、6.15宣言5周年行事後の変化は著しい。この変化の中で在日がどういう役割を主導的に果たしていくのか、考えてみたい。(彦) [朝鮮新報 2005.8.20] |