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「こうやって仲間と知り合えたのも総聯があったから」「民族の言葉を話し、在日同胞として生きていく場を与えてくれたのは総聯」。5月29日に東京朝鮮中高級学校で開かれた総聯結成50周年を記念する在日同胞大祝典。同胞たちにコメントを求めたところ、こんな答えが多数返ってきた
▼もちろん、「ここに集まった人たちは総聯の結成を祝うためにやってきた人たちだから、そんなに批判的な答えは返ってくるわけないだろう」という人がいるかもしれない。それでも、ここ数年の同胞社会の状況を考える時、「総聯は絶対必要」という答えは、意外と新鮮だった ▼確かに、筆者もこの日の集まりで高級部時代の友人や職場の元同僚らに大勢会った。彼らと知り合えたのも総聯や民族教育があったからだし、久しぶりに会い旧交を温められるのも、総聯があったから。それは何もおおげさなものではなく、生活レベルでの感覚だ ▼考えてみれば、同胞たちが総聯に求めているのが、こうした素朴なものではないだろうか。ある友人が言っていた。総聯はまさにトンネなのだと。「もちろん言いたいことはある。でも差別が蔓延する日本で同胞が力を合わせて生きていくためにも、総聯はなくてはならない」とは、50代同胞の率直な感想だ ▼この日、祝典会場となった東京朝中高前の道路では、街宣車で訪れた右翼が拡声器で罵声を飛ばしていた。しかし、同胞たちによる「わが誇り限りない」の歌声は、その声を吹き飛ばすほど大きくこだましていた。団結の声がこの日の青空のように清々しかった。(聖) [朝鮮新報 2005.6.4] |