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改築された学校の図書室に毎月図書を寄贈。定年後に夫婦で旅行に行こうと貯めていたお金を学校運営に当ててほしいと寄付。こんな投稿が最近、相次いで本紙に寄せられた。民族教育や朝鮮学校に対する同胞たちのサラン(愛情)のほどがうかがえる ▼先日行われた東京朝鮮第2初級学校裁判支援コンサートで、歌手の朴保さんがこう語っていたのを思い出した。「朝鮮学校は1世の同胞たちが、自らの手で建設し守ってきた。そんなに簡単に手放すわけにはいかない」 ▼まさに、朝鮮学校の歴史は、解放を迎えた1世たちが子どもたちに民族の言葉、風習を学ばせたいとの思いから出発している。「国語講習所」という形で始まったことは周知のとおりだ。その後も、さまざまな困難な時期を経て、数十年にわたって守り、発展させてきた。これは、ある意味、奇跡的なことだ。それもこれも、「朝鮮学校だけは何としても守らなければならない」との同胞たちの思いがあったからだ ▼拉致問題以降、朝鮮学校に対する助成金を削減しようとする動きが、少なからぬ自治体で出た。そのたびに、学父母、地域の同胞、そして教員や総聯活動家たちが一丸となって削減撤回を求めてきた。地域の日本市民たちの温かい協力があったことはいわずもがなだ ▼そうした地域での動きについて一堂に報告されるセミナーが東京で行われた。明日23日には同様のセミナーが大阪でも開かれる。2日後の24日は「4.24教育闘争」から57年目。民族教育がなぜ重要なのか、なぜ守らねばならないのか。あらためて考える機会にしたい。(聖) [朝鮮新報 2005.4.21] |