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浮島丸殉難60周年追悼集会 400人の同胞、日本市民集まる

 既報のように、浮島丸殉難60周年追悼集会が24日、舞鶴市の「殉難の碑公園」で行われ、在日同胞と日本人ら400余人が参加した。参加者らは、犠牲者の冥福を祈るとともに、日本政府が事件の真相究明と公式謝罪、遺族らに対する補償などに誠意を持って対応するよう強く求めた。

「真相究明、謝罪と補償を」

追悼歌を歌う京都中高生たち

 総聯京都・三丹支部の金徳春委員長は追悼の辞で、「浮島丸事件60周年を迎え、支部の各機関、同胞たちとともに悲しみを新たにし、事件で犠牲となった同胞のご遺族の方々に深い哀悼の意を表する。いつの日か祖国に帰れることだけを信じて、過酷な強制労働と虐待に耐えてきた同胞たちの無念さは、筆舌に尽くしがたい。

 日本政府が事件の実態と真相を具体的に解明し、公式謝罪と適切な補償を実施することを強く要求する」と指摘。「祖国の自主的平和統一の実現と在日同胞たちの民族権利のよう護、日本の方々との友好親善に尽力していくことこそが、犠牲者の期待に沿うものであり、供養になると信じてやまない」と強調した。

 浮島丸殉難者を追悼する会の野田幹夫会長は追悼の辞で、「事件を風化させず、日本が過去の過ちと教訓を忘れて、ふたたび同じ道を歩むことを決して許してはならないとの思いで、1978年8月に『殉難の碑』を建立した」と述べた。

 また野田会長は、毎年追悼会を行ってきたことに触れながら、「『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意する』と明記されている日本国憲法の立場に立ってこれからも歩み続けようと考えている」と語った。

「犠牲者の思い受け継ぎたい」

犠牲者の冥福を祈って海に献花する参加者ら

 この日、「印象深かった」と多くの参加者に感銘を与えたのは、児童文学家の韓丘庸氏(70)が作詞した追悼歌「はまなすの花 咲きそめて」。今年の集会では、文芸同京都の歌唱サークルの女性らが京都朝鮮中高級学校声楽部の生徒らとともに朝鮮語で歌った。

 韓丘庸氏は、「60周年という節目の年に、追悼歌を朝鮮語で歌ったことは意義深い」と述べながら、事件の真相究明と遺族に対する補償問題を早急に解決すべきだと指摘した。

 また、初めて追悼集会に参加して追悼歌を歌った文芸同京都歌唱サークルの孔冀秀氏(42)は、「碑の前に立って悲しみの思いにかられた。犠牲者のために、こんなにも多くの人たちが集まってくれている姿を見ることができてよかった」と語った。

 京都中高声楽部の呉明姫さん(高3)は、「祖国に帰る途中に犠牲となった同胞たちの報われなかった思いを、私たちの世代がしっかりと受け継ぎ、また後世に受け継いでいかなければならない。関心を持ってくれる人たちがたくさんいて安心した」と感想を述べた。

 「浮島丸事件」から60年が経った今、日本政府の誠意ある対応が迫られている。(李東浩記者)

浮島丸事件

 青森・大湊警備府が出した「本国送還」指示により、大湊海軍施設部で強制労働を強いられていた朝鮮人労働者とその家族3735人(日本政府発表)を乗せた旧日本海軍輸送船「浮島丸」(4739トン)が1945年8月24日、舞鶴湾下佐波賀沖で、突然発生した爆発音とともに、真っ二つに折れて沈んだ事件。

 日本政府は、同事件により524人の朝鮮人が犠牲になったと発表した。しかし、船には定員数をはるかに超える朝鮮人が乗船していたことから、犠牲者も相当数にのぼるとの専門家らの指摘もある。

[朝鮮新報 2005.8.30]