top_rogo.gif (16396 bytes)

教育シンポジウム「拉致問題をどう教えるか」 朝鮮学校、南、日本の教師が報告

 日本の小中学校教科書で拉致問題が取り上げられていることと関連して6月25日、千葉県習志野市の東習志野コミュニティーセンターで日本人教師たちによる教育シンポジウム「拉致問題をどう教えるか」(主催=習志野八千代歴史教育者協議会)が開かれ、約30人が参加した。

今年4月から小学校で、来年は中学校でも

シンポジウムには教師ら約30人が参加した

 2002年の朝・日首脳会談以後、拉致問題をきっかけに日本ではメディアを中心に朝鮮バッシングが連日続けられている。今年、文部科学省が発表した来春から使われる中学校用歴史教科書の検定結果は、8社すべてから「慰安婦」の用語が消え、95年度検定ではすべての教科書にあった「強制連行」の記述も2社に減るなど、第2次世界大戦時のアジア諸国に対する「加害記述」が抹消されつつある。

 また、社会科の教科書では4社が政府見解に沿う形で独島(竹島)の領有権などを記述。拉致事件をめぐっては8社すべての歴史、公民教科書が記述するなど、朝鮮への敵視を露にする内容となっている。

 今年4月からは、小学校改訂社会科教科書(3社)が初めて拉致問題を取り上げた。来年から使用される中学校の改訂歴史でも拉致問題が取り上げられる。

 教科書に載れば、教師は授業で拉致問題を取り上げざるをえなくなる。その時、教師はどのように子どもたちに教えたら良いのか。拉致問題を見る視点について考えるためシンポは開かれた。

「朝鮮=悪」の報道子どもの心に影

金聖蘭さん

 シンポでは、金聖蘭・東京朝鮮第5初中級学校美術教師が「民族のアイデンティティをどう教えるか−拉致問題と民族学校の子ども−」、崔鐘順・南朝鮮の小学校教師(東京大学大学院教育学部研究生)が「韓国から見た日本の拉致問題」、石渡延男・東洋大学文学部講師が「過去史のなかの拉致問題−政治と生活のはざまで−」についてそれぞれ発言し、千葉県下の教員など参加者らが討論した。

 金教員は、在日3世、4世たちが通う朝鮮学校について紹介。拉致問題報道以後、悪質な嫌がらせなどから生徒の安全を守るため、集団登下校、私服通学、通学路での朝鮮語の使用自粛などの措置が取られるなか、民族と国家、在日という「自己」に対してマイナスイメージを抱いてしまった子どもたち。彼、彼女らと共に、美術を通じて「自分の心と向き合う」授業を行った体験を語った。

石渡延男さん

 「『朝鮮=悪』という報道は、子どもたちの心に自己否定の影を落とした。自己を肯定するという、これから生きていくための糧になる核の部分が揺らいでしまった。これから先、他人に自己を肯定できない人間になってはいけない。かといって、日本で暮らしていくうえで、必要以上に日本人や社会に対する恐怖心を抱いてもいけない」

 そのため、金さんは日本学校の生徒たちとの交流にも積極的に取り組んだ。触れ合うことにより子どもたちは、優しい人、理解してくれる人もいるのだという安心感を覚えた。

 金さんも02年から深く関わってきた「南北コリアと日本のともだち展」では、ある日本人が、南と日本の子どもの間で通訳をしている在日の子どもに「朝鮮と日本をつなぐ友好のかけ橋ですね」と声をかけた。その子はとても喜んだという。「在日の子どもたちを、在日の、日本の人たちと一緒に育てていきたい」と金教師は考える。

タイムマシーンで過去にさかのぼったよう

崔鐘順さん

 南朝鮮から来た崔さんは、「日本の反北報道を見ていると、タイムマシーンに乗って過去にさかのぼったよう」と発言した。南朝鮮では60、70年代、北を非難する放送が繰り返されていた。学校教育も一貫して北を憎悪し、敵視する内容だった。崔教師は、「最も深刻なのは、人間が人間らしくない感情を植え付けられること」と指摘。南で最近、老教師たちが過去の誤った教育を反省し、良心宣言を行ったことに触れ、「韓国の教育も今、たくさんの苦痛を抱えている。誤った部分を取り出し、新しい肉を移植するのはたやすいことではない。あちこちで反発も生じて、権力を享受し続けようという者たちはイスを奪われまいと踏ん張っている。子どもたちに、人を人と見るようにする教育、自分の人権が大切なら、他人の人権も大切ということをわからせるのは本当に重要。人が人を憎むようにしむける教育が、学校現場で行われてはいけない」と強調した。

 石渡延男さんは、「(島根県の)竹島の日」制定の日、南朝鮮で反日意識の強い教師のもとで授業を受ける日本人生徒の姿を描いた詩「ヨウコが泣いています」を紹介。教育は根源的に平和教育であり、諸民族の共存と友好、信頼醸成のために存在すると語った。

 第2回シンポジウムは今秋、日本人教師が授業案を作り発表、討論形式で開かれる。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2005.7.5]