日本政府の大罪 遺骨は語る〈7〉 北海道・光昭寺 |
1945年7月15日、米軍艦船の艦砲射撃により、日本製鉄輪西製鉄所(現、新日鉄室蘭製鉄所)にいた朝鮮人労働者5人が「犠牲」になった。 そのうち3人の遺骨は今も遺族の手に渡らず、光昭寺(北海道室蘭市)に安置されている。うち2人の遺族が60年ぶりに遺骨と対面した。詳細な調査による遺族の所在、犠牲者の本名確認を行った「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」、また「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」の協力で実現したものだ。 「なぜ送ってくれなかったの」
「なぜこれ(遺骨)を送ってくれなかったの」 理由もわからないまま強制連行された兄弟の遺骨を目の当たりにした遺族はその場に泣き崩れた。 5月23日、光昭寺を訪れた鄭英得さん(死亡時16歳)と李廷基さん(死亡時15歳)の兄弟7人は60年ぶりに遺骨と対面し、死亡を確認した。 北海道フォーラムの蔡鴻哲共同代表が遺骨箱を慎重に開けた。それを殿平善彦同共同代表が新しい布に包み「創氏名」を「本名」に改めた。殿平代表は「日本政府の責任として遺骨を返す」と遺族に語りかけた。
光昭寺では6人の僧侶による追悼法要が営まれ室蘭在住の在日同胞と研究者、市民運動家など40余人が参列した。 その後、会見した遺族は「15、6歳の幼い少年が異国の地で孤独に死んだことに対して日本の方々はどう思っているのか。もしかしたら艦砲射撃ではなく飢えて死んだかもしれない」「母は強制連行で日本に連れて行かれた息子の消息を気にかけながら死んでいった」などと語った。 鄭英得さんの弟、鄭相得さんは「謝罪は回数の問題ではない。遺骨には尊厳があり、これは日本国としての問題でもある」と指摘した。 遺族生きているときに真相究明を この日午後、一行は2人の死亡場所とみられる新日鉄室蘭製鉄所を訪れた。 遺族らは「艦砲射撃当時の状況」を尋ねた。だが新日鉄側は、当時の企業と今の民間事業としての新日鉄は別会社だと主張し、資料にも目を通していないと話した。遺族らは「ここまで来た意味がない。責任者に出てきてもらいたい」と怒りをぶつけた。 翌24日には遺族らと室蘭市との懇談が行われたが、遺族が最も知りたかった労働状況の詳細な説明はなかった。 全日程を終えた遺族らは「市ではなく、政府と直接話し合わなければ(解決は)難しい」「(高齢となった)遺族が生きている間に真相を究明してほしい」と悲痛な想いを語った。 北海道フォーラムとしては、遺骨に伴う真相を究明し、早急に遺族のもとに遺骨が返還されるよう全力を尽くす構えだ。(李東浩記者) [朝鮮新報 2005.6.21] |