〈東京・祐天寺 遺骨名簿調査報告書-B-〉 遺骨の返還と責任者の処罰を |
(キム・ムギ氏の話の続き) われわれは今回、祐天寺にある朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿を通じて確かめた犠牲者を2003年末に公開された朝鮮人強制連行犠牲者に関する42万余人の名簿から探してみた。 犠牲者キム・ジョンピョは「被徴用死亡者(陸軍)咸鏡北道」名簿の7番に、キム・ヒスは「被徴用死亡者(陸軍)咸鏡南道」名簿の141番に、キム・ミョンハクは172番に、リム・チャンボは201番に各々名前が記入されていた。また、「被徴用死亡者(海軍)咸鏡南道」名簿の92番にキム・ウルギョン、21番にキム・ギルスン、「被徴用死亡者(海軍)平安南道」名簿の188番にキム・リョンギュンの名前が記入されていた。 この名簿には、犠牲者の名前と生年月日、本籍地、所属部隊、死亡年月日、死因、死亡場所、家族関係などが記されている。この名簿に記入された7人を分析調査した結果、次のような事実が確認された。 まず、犠牲当時の年齢を見ると、20歳が1人、21歳が2人、23歳が1人、27歳が1人、30歳が1人、33歳が1人で大部分が20代の青年たちであった。そして、その時期を見ると1943年に2人、1944年に1人、1945年に4人で、1945年にもっとも多くの人が犠牲になった。また、その場所を見ると、日本で1人、セレベス島で1人、ソロモン諸島で1人、ギルバート諸島タラワで1人、ナウルで1人、中国で1人、ミャンマーで1人が犠牲になった。そのうちの3人がマラリア、ジフテリアなどの疾病と栄養失調で死亡し、残りの4人は「戦病死」「戦死」となっているだけで、死因さえ記されていなかった。 このような事実は、日帝が太平洋戦争末期に20代前後の数多くの朝鮮青壮年を「軍人」「軍属」として大々的に強制徴発して日帝侵略軍の足が行き届くすべての地域に弾よけ、労働奴隷として駆り出し、無残に殺したということを立証している。 日本の態度と立場 朝鮮人強制連行犠牲者遺骨問題は本質上、過去、わが国を武力で不法占領した日帝が、奴隷化政策と民族抹殺政策の一環として強行した犯罪の所産であり、その遺族の精神的苦痛が現在も持続していることで早急の解決が求められる人権問題である。 事実上この問題は、法律的見地からも、人倫道徳的見地からも、20世紀に日本の敗北とともに日本政府が過去の清算の一部分として当然解決すべきであった。しかし、日本政府は敗戦から60年になるこんにちまで、朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨問題に対するいかなる「見解」も示しておらず、この問題に対する対策を何一つ取っていない。 看過できないのは、日本政府が敗戦後、南朝鮮には政府的に保有していた遺骨を含む南朝鮮出身犠牲者の遺骨8800余柱を渡したが、朝鮮出身犠牲者の遺骨は一柱も返還していないことである。 遺骨を収集し、犠牲者の魂を慰めようとする遺族の心情はどの国でも同じである。にもかかわらず、日本当局は昨年末、祐天寺に放置されている亡父の遺骨を持ち帰るため日本を訪問しようとした朝鮮人強制連行犠牲者遺族と関係者の入国をさえぎる非人道的行為をためらうことなく強行した。それだけでなく、日本では新世紀に入っても過去の犯罪史を否定、美化した歴史教科書が国家検定で公然と通過し、政治家による集団的な「靖国神社」参拝が続いており、独島に対する強奪策動が黙認、助長されるなど、第2次世界大戦前夜をほうふつさせる雰囲気がつくり出されている。 現在、わが国はもちろん、アジア各国は犯罪的な過去をまともに清算せず、逆に右傾化、軍国化の道へ走っている日本が国連安全保障理事会常任理事国のポストを占めようと躍起になっていることに抗議と糾弾の声を高めている。 さる5月5日、日本政府は遅まきながら第2次世界大戦の期間、日本企業によって「徴用」されて死亡した朝鮮半島出身者の実態を把握するため、国内の約100社に調査票を送り、その結果を8月まで南朝鮮側に伝えることを決めたという。しかし、朝鮮人強制連行犯罪に関して言えば、その主犯が旧日本国と軍部であり、それに加担した企業だけでも1500余にもなり、その対象が北南朝鮮だけでなく、中国、台湾なども含まれているということを考慮すると、果たして日本政府の今回の「決定」が朝鮮人強制連行犠牲者遺骨問題を心から受け入れ、全面的に調査して公正に解決しようとする意図から下されたものであるのか疑わざるをえない。 今年は日本が敗北してから60年になる年である。 日本政府は、朝鮮人強制連行犠牲者遺骨問題の真相を全面的に、徹底的に調査、究明してその全ぼうを早急に公開し、それに対する国家的責任を認め、すべての犠牲者と遺族に公式に謝罪、補償し、犠牲者の遺骨を捜し出して遺族の希望どおりに彼らの故郷、または家族の住むところに葬るようにし、遺骨問題をもたらした犯罪者を捜し出して責任の所在によって厳格に処罰すべきである。(おわり) [朝鮮新報 2005.6.16] |