朝鮮人強制連行犠牲者遺骨問題で集会 日本政府に資料公開、全容解明求める |
すでに62年に 「死傷者数万人以上」確認
日本政府は、昨年9月から行っている朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨の実態調査に関して、全国の寺院や自治体に協力を要請する方針を5月末に固めた。そんななか、遺骨問題などを考える集会「今、強制連行犠牲者の遺骨は」が11日、東京都千代田区の日本教育会館で行われた。集会には、朝鮮人強制連行真相調査団の関係者をはじめ在日と日本の研究者、活動家ら約200人が参加。犠牲者数に関する調査と遺族の証言、北海道、埼玉、山口、福岡などでの調査報告が行われ、日本政府に真相解明と資料公開などを求める集会アピールが発表された。 集会では、強制連行された朝鮮人のうち数万人が死傷していたことを、日本政府が1962年2月の時点ですでに把握していたことを示す文書が公表された。文書は、韓日会談の第6回会談の際に日本外務省北東アジア課が作成した「韓国人移入労務者数について」(62年2月19日)の討議用資料で調査団がみつけ公表したもの。 文書には「死亡、病気及び家事都合により永久帰鮮等 4万6306+α」(45年3月現在)と記されており、「α」は45年4月から8月までの死亡者とされている。日本の太平洋戦争末期に原爆や空襲などで多くの死傷者がでたことを考慮する場合、南朝鮮側が第6回会談で主張した「死亡者1万2603人」「負傷者7000人」(2005年1月に南朝鮮政府が公開した韓日会談の資料から)を超える数字を日本政府が把握していた可能性があるとの指摘もうなずける。 また、文書では「移入総数 66万7684」とされており、「徴用被害者は百数十万人以上」という専門家の指摘や72万人との大蔵省の見解とも大きな開きがある。 この日の集会で調査団側は引き続き、日本政府が持っている資料をすべて公開するよう訴えるなど、強制連行の全容解明を求めた。 北南遺族ら証言
集会では、南朝鮮の太平洋戦争被害者補償推進協議会の崔洛さん(65)が、42年に渡日した父の生死が今も未確認であることを訴え、60年以上も強いられ続けている家族の苦しみを吐露した。 45年9月中旬ごろ、日本にいた父親から帰国するとの手紙が届いたが、その後の消息は不明のままだ。42年9月に協和会訓練所で撮った写真が、唯一残された父親に関する資料だ。裏に記された住所を手がかりに父親の行方を探し、同地域に連行された同胞などにもあたったが、わからずじまいだという。 崔さんは「母は今も待ち続けている。戸籍整理のために父の死亡申告をすれば母は倒れかねない」「当時、若い女性が1人で子どもたちを育てるのがどれほど苦しかったか…。弟は父の愛を知らずに育った」と述べ、一日も早い真相究明を訴えた。 また、昨年12月に東京・祐天寺(目黒区)で開催された追悼会に参加しようとしたが、入国を妨害され参加できなかった朝鮮の遺族たちについての紹介もあった。訪日中止を聞かされた遺族の金勇虎さん(平壌在住)は「遺骨のある場所を知りながらも持ち帰れない。なぜこんな不幸を強要されなければならないのか」と怒りを露にしたという(後に遺骨は偽物だったことが判明)。 「未来志向の第一歩に」 集会では、調査団中央本部朝鮮人側団長の高徳羽・総聯中央副議長兼同胞生活局長があいさつ。「遺骨問題は過去の問題ではなく現在の問題。日本政府は未来志向の第一歩として真しに取り組まなければならない」と指摘した。 遺骨問題に関する基調報告を行った調査団中央本部の洪祥進・朝鮮人側事務局長は、「外務省は(関係者から)証言一つ聞かずに遺骨の調査を行っている。政府側は(強制連行を)企業がしたように見せている」と指摘し、日本政府の誠意ある対応と資料公開などを求めた。 集会では北海道、埼玉、岐阜、岡山、山口、福岡の調査報告が行われた。 埼玉・金乗院(所沢市)に安置されている遺骨に関する調査報告を行った埼玉調査団の石田貞・日本人側団長は、「(徴用者であるかどうかの問題ではなく)植民地時代に日本に来た人たちには違いない。日本政府の責任として解決しなければならない」と述べた。 集会に参加した社民党前参議院議員の清水澄子・朝鮮女性と連帯する日本女性の会代表は、戦没者に対して使われた国家予算が朝鮮人のために使われたことがないと指摘。「遺骨問題などは日本人の問題」だとして、証言収集の場作りや資料公開を求める運動の必要性を訴えた。 集会ではアピール文が朗読された。アピールは日本政府に対し、遺骨問題を政治的に利用せず、遺族や被害者の心情を理解し人道的に解決しなければならないと指摘。真相の全面的な解明のため資料などをすべて公開し、北南分け隔てなく遺骨を返還するよう訴えた。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2005.6.16] |