top_rogo.gif (16396 bytes)

日本政府の大罪 遺骨は語る〈5〉 大阪・統国寺

 1990年3月、大阪の統国寺で遺骨返還法要が営まれ、同胞の遺骨2柱が岡山県立倉敷中央高校の生徒たちによって南朝鮮の遺族に届けられた。

 同校社会問題研究部の生徒たちは、活動過程で、県内に強制連行され犠牲となった朝鮮人の無縁仏が統国寺に安置されていることを知った。

 「家族のもとへ返してあげたい」と戸籍などを調べ、証言の聞き取りを行った。遺族も探した。関係者や南朝鮮側の協力もあり、2人の遺族が判明。生徒らが直接遺族を訪問し、遺骨を届けた。

今も毎日供養

統国寺(大阪市天王寺区)の大雄殿。大阪市指定文化財に指定されている

 統国寺には今も、岡山県内の工場や鉱山などで犠牲となった朝鮮人の無縁仏約80柱が安置されている。本名や本籍がわからないものが多く、遺族探しは困難をきわめている。

 日本による植民地時代、岡山県内には数千人の朝鮮人が強制連行され、玉野市、倉敷市など7カ所の工場や鉱山で労働に従事させられ、数百人の同胞が命を落とした。

 戦後、岡山県仏教会が中心となって遺骨の調査、収集を行い、県内各地で約200柱が集まった。一部は遺族や関係者が引き取り、無縁仏の66柱は真城寺が引き取った。

 その後、新たに見つかった10数柱とともに、統国寺が引き取り、今も毎日、供養が行われている。

 岡山の市民団体などは「市民の目に入る所に」慰霊塔を建立しようとしたが、地元自治体から土地の提供を拒まれたという(慰霊塔は74年に真城寺境内に建てられた)。

咸鏡南道出身者も

統国寺に安置されている「朝鮮人殉難者」の遺骨

 統国寺の遺骨の中には、咸鏡南道出身者のものもある。2000年、玉野市が開示した「埋火葬許認証下附原簿」などから、三井造船玉野造船所に連行され、45年11月に入院先の病院で亡くなった朝鮮人のものであることが判明した。

 さらには、軍人、軍属として亡くなった同胞の遺骨も含まれている。

 89年には厚生省(当時)から問い合わせがあったが、進展はなかった。先月末、厚生労働省から問い合わせがあったという。日本政府の遺骨返還方針と関連した調査の一つと思われる。

 統国寺の崔無碍住持は「10年以上前から訴えてきたが見向きもされなかった。供養もしない人が遺骨問題を政治のかけひきに利用してはならない。(解決について)みんなで考え、心の底から葬って、日朝友好に努めなければならない」と語る。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2005.6.7]