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〈東京・祐天寺 遺骨名簿調査報告書-@-〉 朝鮮人強制連行犠牲者

 朝鮮・日本軍「慰安婦」および強制連行被害者補償対策委員会(以下、被害者補償対策委)は5月27日、「東京・祐天寺にある朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿に対する調査報告書」を発表。「日本は反人倫的な過去犯罪の真相を徹底的に究明し、謝罪と補償をすべきである」と主張した。報告書の内容を4回にわけて掲載する。

 周知のように、第2次世界大戦が終了してから60年を迎えようとするこんにちまで、日本各地には過去、日帝によって死の苦役場と侵略戦場に駆り出されて無念の犠牲を強いられた数多くの朝鮮人の遺骨が放置されている。

 ここ数年間に、朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨が兵庫県相生市の善光寺で60余柱、福島県の30余の寺で100余柱、東京の祐天寺で1100余柱、北海道の本願寺別院で100余柱も発見された。

 被害者補償対策委はこの数年間、祐天寺にある朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿に対する調査過程で、旧日本軍によって「軍人」「軍属」として侵略戦場に駆り出され、犠牲になった被害者の遺族を探し出し、遺骨の一部に対する真相を究明したことに関連し、この調査報告書を発表する。

調査経緯および調査状況

 被害者補償対策委は04年初、日本の朝鮮人強制連行真相調査団から祐天寺に放置されている朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿を手渡されたことに基づき、朝鮮の関係機関と協力してこの名簿に記入されている犠牲者の身元を確かめ、彼らの遺族を探し出す調査を行った。

 祐天寺の名簿には1135人の名前があがっており、そのうちの430人が朝鮮出身である。430人のうち、旧日本陸軍の「軍人」「軍属」として連行された人は315人、旧日本海軍の「軍人」「軍属」として連行された人は114人、その他1人と区分される。そのほとんどは、過去、日帝によって咸鏡南・北道と平安南・北道、黄海道、江原道など、わが国の全地域から「軍人」「軍属」として侵略戦場に駆り出され、軍奴隷、労働奴隷暮らしを強要されて無念に犠牲になった人々と推定される。

 われわれは、朝鮮出身430人のなかで確認可能と見られる80人程度を選定し、04年4月から彼らの身元を確かめて遺族を探し出す調査を開始した。

 大部分の遺族が息子、娘などの世代であるので、日帝によって強要された「創氏改名」により、日本の姓と名で書かれている名簿だけに頼っては犠牲者の本名を確かめることができず、調査は最初から難関にぶつかった。また、名簿に記入されている犠牲者の住所が解放前の地名や行政区域になっており、さらに祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期に大勢の人々が地域移動を余儀なくされた事情などは、調査活動に一定の障害をきたした。

 非常に厳しい条件のなかでも調査活動をねばり強く行った結果、われわれは遺骨名簿に日本名で記入されている731番のキム・ジョンピョ(カネシロ・セイヒョ)の息子キム・ドゥギョン、キム・ウォンギョンの両氏、776番のリム・チャンボ(ハヤシ・ショウフ)の娘リム・ウルシムさん、794番のキム・フィス(カネハラ・キシュウ)の甥キム・ドンイル氏、810番のキム・ミョンハク(カネカワ・メイガク)の甥キム・ソンボン氏、1082番のキム・ウルギョン(カネハラ・オッケイ)の息子キム・ムギ氏、1088番のキム・ギルスン(カナザワ・キチジュン)の弟キム・ギルリョン氏、1090番のキム・リョンギュン(カネヤマ・リュウキン)の息子キム・ヨンホ氏ら、名簿にある犠牲者の一部の遺族を探し出すことができた。また、確認された遺族の証言を通じて次のような事実が分かった。

 犠牲者キム・ジョンピョの息子キム・ウォンギョン氏は「私の父は6人家族を養うため、金野郡蓮洞里にいた地主の家で下男暮らしをしていたが、その後、地主の家から飛び出して清津に行き、漁夫として働いた。父は、日帝によって43年に10余人の同僚と共に清津埠頭へ連行されたが、その後の父の行方については全く分からないでいる。父と生き別れになってから60余年の歳月、父の生死さえ知ることができなかった私たちは一縷の希望を持って今日まで法事も行えずに父の便りを待っていた」と話した。

 彼の家族は、父が東京の祐天寺に遺骨として納められていることを知り、あ然として何も言えなかった。

 キム・ウルギョンの息子キム・ムギ氏は「私は母から父の話を聞いた。父は日帝警察によって43年頃、シンガポールに連行され、苛酷な奴隷労働を強いられた。父が反抗するや、日本軍は父を監獄のような所に閉じ込めて食べ物も与えずに拷問したという。

 日本軍は45年4月、赤痢にかかった父を伝染病という口実で焼き殺したという。日帝が敗北するや、父と一緒に連行された同僚たちが父の遺骨でも故郷に持ち帰ろうと船に乗って日本へ向かう途中、暴風にあい、日本人らがその遺骨をすべて海に投げ捨てたという。(つづく)

[朝鮮新報 2005.6.4]