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日本政府の大罪 遺骨は語る〈4〉 福岡・日向墓地

炭鉱で命を落とした朝鮮人の墓標。一つひとつに花が捧げられている(日向墓地)

 福岡県田川郡添田町の日向峠、生茂る雑木林の中の薄暗い場所に小さな石が散在している。一見「ただの石」にしか見えないが、実は炭鉱労働で命を落とした朝鮮人の墓標だ。37基あるとされている。この公営墓地の一角に整然と並べられた、地元住民のペットの墓との格差に衝撃を受ける。

 日向墓地と呼ばれるこの場所はかつて、古河大峰炭鉱のボタ山(選炭後に捨てられた不必要な石が積もってできる山)だった。大峰炭鉱では1944年、朝鮮人坑夫がリンチによって殺害される事件があった。上半身を裸にされ皮ベルトで殴り殺されたという。

 朝鮮人坑夫たちの労働環境は劣悪で、逃亡を防ごうと監視が厳しく、リンチも多かったという。企業は朝鮮人が亡くなった場合には葬儀すらせず放置。貧しい朝鮮人たちは仲間の遺体を山に埋めることしかできず、目印にボタ石を置いた。

 戦時中、麻生炭鉱で朝鮮人坑夫とともに働いていたある日本人は、事故で瀕死の朝鮮人坑夫を「いずれ死ぬから」と生き埋めにした現場を目撃したという。

末端に朝鮮人

 福岡県筑豊地域は日本の鋳銅術発祥の地とされている。19世紀後半、新しいエネルギーとして石炭が使用されるようになり、炭田が豊富なこの地に大手が進出。筑豊の御三家といわれた麻生、貝島、安川とともに日本最大の炭田地帯へと発展した。

 「鉄は国家なり」。第二次世界大戦参戦とともに、日本では製鉄の拡充が不可欠となった。コークスを燃やして鉄を溶かし武器を生産する−その過程の末端、最も危険で過酷な労働現場に朝鮮人が連行された。

 福岡県や特高警察などの資料によると、45年6月までに福岡県内で約17万人の朝鮮人が炭鉱労働に従事した。そのうち数千人が事故、栄養失調、リンチなどで犠牲になった。

無窮花堂にも80柱

無窮花堂の納骨堂内部。約80柱の遺骨が安置されている

 日向墓地のような場所は九州各地にあり、今も同胞が眠っている。一部は善良な市民らの手によって収骨され慰霊碑も建てられたが、身元もわからず異国の地で60年以上を過ごしている。

 地元の同胞と日本人らによって2000年12月、飯塚市営霊園内に無窮花堂が建立された。現在、約80柱の同胞の遺骨が安置されている。創氏改名などによって返還は困難な状況だ。

 「黒いダイヤ」石炭と朝鮮人−これらを基盤に多くの日本企業が世界有数の大企業へと成長した。

 「圧政の山」と呼ばれた麻生炭鉱。経営者の家の4代目当主、麻生太郎(衆議院議員、自民党)は「創氏改名は朝鮮の人たちが望んだ」と発言した。代を継いで朝鮮人に苦痛を与えている。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2005.5.31]