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日本政府の大罪 遺骨は語る〈3〉 埼玉・金乗院

 131人分の遺骨がわずか16個の「箱」に収められている。炭や木片まで混ざっている中身から、管理のずさんさが一目でわかる。

 遺骨は、日本に強制連行された後、帰国船の遭難で犠牲となった朝鮮人のものと見られており、厚生労働省が埼玉県所沢市の金乗院に保管を依頼した。

厚労省、ずさんな管理

16個中、一つの「箱」の中身。数人分の遺骨が混ざっており、個別性は完全に失われている

 日本政府は敗戦後、在日朝鮮人を祖国に安全に送り返す義務があったにもかかわらず、それを企業などに押し付けるなどし、義務を放棄した。一刻も早く帰国したいと望む同胞たちとの間では混乱が生じた。

 自ら船をチャーターし祖国に戻ろうとした同胞たちもいた。しかし、1945年9、10月頃、大きな台風に遭い船が難破し、多くの同胞が命を落とした。犠牲者の一部は長崎県の壱岐や対馬に漂着。住民や生存者らが埋葬した。

 「三菱の徴用工のものでは」と元指導員らが76年、壱岐で調査し86柱を収骨した。84年には、民間団体などの要請を受けた日本政府が、対馬で45柱を収骨した。厚労省は93年と2003年、同院に遺骨の保管を依頼した。

 遺骨は16個の「箱」に収められてあり、中にはダンボールのものまである。数人分の遺骨がゴミのように混ざっている。

 2月に初めて営まれた追悼会で、調査関係者をはじめ同胞、市民らがこの現状を初めて目の当たりにした。

 参列者たちは、厚労省の職員が毎年、線香をあげにくるというが、「この状況を見て何も感じないのか…理解に苦しむ」「亡くなった後までひどい扱いを受けている」と怒りを露にした。

国会でも論議

遺骨が安置されている金乗院の「釈迦堂」

 中曽根首相(当時)は85年、遺骨についての実態調査と早期返還を約束した(中国新聞85年8月7日付)。国会では、76年から4度にわたってこの問題が論議され、「人道上の見地から問題解決のために努力する」と政府、外務省、厚生省(当時)関係者らも発言していた。

 「約束」から20年。問題は放置され、遺骨の管理状況は悪化。追悼会に政府関係者の姿はなかった。

 埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団と総聯埼玉県本部の代表らは3月、厚生労働省、外務省、内閣府をそれぞれ訪れ、遺骨の早期返還を要請。厚生労働副大臣は「この(金乗院の)遺骨に関してはある程度しぼれるかもしれない。本人と確定できればいいのだが」としながら、要請について大臣に伝えると約束した。

 埼玉調査団の石田貞・日本人側団長は「友好親善のためにも遺骨問題を解決しなければならない」と語る。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2005.5.17]