〈朝鮮近代史点描-13-〉 愛国啓蒙運動 |
Q 義兵闘争が大規模な民族独立戦争であったことはわかったのですが、都市では、知識層や商工人たちの運動はあったのでしょうか。 A 義兵闘争が山間地帯や地方の村を拠点に行われたのに対して、19世紀から20世紀初頭にかけて、ソウルや平壌などを地盤にした知識人や商工人たちが中心となって独立協会を設立(1896年)しました。かれらは朝鮮の自主独立と内政改革を要求して、広く民衆啓蒙運動を進めるために「独立新聞」を刊行して、民族の自主意識を高めるとともに、政府の古く退嬰的な政策を批判しました。徐載弼、李商在たちは、98年にはソウル市鍾路の広場で最初の民衆大会といわれる「万民共同会」を開催。国政改革のための献議6条を政府に突きつけたのです。 国王(その時は皇帝を自称していましたが)をはじめ、政府官僚は不安を感じて協会の解散を命じ、こうして朝鮮王朝は、幅広い人民大衆の愛国の情熱を結束して自主的な富国強兵をはかる機会を自ら放棄してしまったのです。 このような環境の中で20世紀初頭に入ると、日帝の侵略は更に本格的になります。各界各層の進歩的な社会勢力は愛国啓蒙運動を展開し、近代的民族国家樹立を目指し、まず愛国的な政治文化団体や私立学校を作り、新聞、雑誌、図書の出版、さらに産業振興運動などを中心に運動を推進していきました。この運動には愛国的な若い知識人たちが多数参加しましたが、その代表的な人物としては周時経、申采浩、張志淵、朴殷植などをあげることができます。 1906年には大韓自強会、憲政研究会、つづいて国民教育会など多くの愛国文化団体が組織されます。同時に各地方に従来の書堂に代わって、数千の新しい教育を施す私立学校が建設されます。その中でもソウルの普成学校、平壌の大成学校、定州の五山学校などは反日愛国教育の拠点として有名です。また勤労大衆のためには労働夜学会、労働講習会などが多数運営されました。 また、愛国文化運動の大きな柱として、周時経などにより国文運動が展開され、愛国思想を鼓吹し、民族文化の発展に寄与しました。 さらに祖国の危機を前にして、わが国の輝かしい歴史や愛国的な英雄の伝記を出版しました。「李舜臣伝」「乙支文徳伝」「大韓歴史」さらに「イタリア独立運動史」「フランス革命史」など。 以上、これらの運動は愛国思想で人々を教育し、反日民族解放闘争で一定の役割を果たしたのですが、同時に歴史的な限界性をもっていました。 それは資本主義の発展が不充分であったために、革命的な市民階級が形成されず、王制に反対する共和制への要求が弱く、日帝に対しても義兵闘争と共同して武装闘争を組織することができないまま、外勢に主権を奪われてしまったことです。(金哲央、朝鮮大学校元教授) [朝鮮新報 2005.5.17] |