日本自衛隊の朝鮮侵攻作戦研究−中 |
米軍の命令で約1万人が特殊任務に 日本の「朝鮮有事」への参戦は55年前の朝鮮戦争の時からである。国連の旗の下、米軍将校(マッカーサー)の指揮下に16カ国の軍隊が参戦したが、「こっそり参戦」したのが日本であった。米軍の命令で旧海軍軍人約1万人が集められ70隻の船艇で特殊任務(米軍の水先案内、前線荷役、掃海、補給など)についた。3年間に仁川上陸作戦や興南撤退作戦、機雷掃海などで381人が死傷、「戦没者は叙勲の栄誉」を受けた(読売新聞97年4月19日付)。 それだけではない。日本は「朝鮮特需」(朝鮮戦争中に工場が再開され武器、装備を製造して米軍に納入)によって3年間に24億ドルを稼ぎ、経済復興の跳躍台となった。吉田茂首相は「神風」と喜び、財界首脳は「起死回生の妙薬」と小躍りしたものだった。 日本の自衛隊と在日米軍は朝鮮戦争直後の55年以来「共同統合作戦計画」を極秘裏に策定して毎年改定し、日本の統幕議長と在日米軍司令官が署名してきた(朝日新聞04年7月1日付)。65年に日本国会で暴露された悪名高い「三矢研究」も、その関連文書であった。「三矢研究」とは63年に統幕(統合幕僚会議)が陸海空自衛隊の幹部約50人と米軍オブザーバーを集めて行った図上演習「昭和38年度統合防衛図上研究」のことである。 南朝鮮内部の政情不安から反乱が生じ、それが南北間の戦争から中国にまで波及し、米軍指揮下に自衛隊も参戦するという内容である。とくに日本側が米軍に対し「作戦区域を北朝鮮に拡大する」ことを提案している点が問題となった。その延長線上に、94年の「朝鮮半島危機対応総合研究」があった。 「北の脅威」を煽りミサイル防衛網参入 米クリントン政権は94年6月、朝鮮侵攻作戦のシミュレーションで、米軍の損害が10万人にも及ぶという結果に衝撃を受け、核問題の平和的解決方針に転換、朝米基本合意が成立した。しかし日本政府は94年に米国から提示された米日共同作戦体制確立へ向け着々と手を打ってきた。 その最初の転換点が96年4月の日米安保共同宣言に基づく97年9月の新ガイドライン(新日米防衛協力に関する指針)であった。「日本有事」だけではなく、米国が朝鮮半島や台湾海峡で引き起こす「周辺事態」にも、日本の自衛隊や国民を総動員する自動参戦体制への転換である。 この時に極秘の米日共同作戦計画「OP5055」が作られた。 98年8月の朝鮮の人工衛星打ち上げを日本政府は「弾道ミサイル」だと強弁しつつ、「北の脅威」を煽り、米国が推進しているミサイル防衛網(MD)に参入した。当時の野呂田芳成・防衛庁長官は99年3月の衆院安全保障委員会の答弁で、「相手国がミサイル攻撃に着手していれば、日本側に被害がなくとも相手のミサイル発射基地を攻撃することは法的に可能だ」と対朝鮮先制攻撃論を強調した。その後を受けて、石破茂・防衛庁長官、安倍晋三・自民党幹事長代理らが先を競って、朝鮮を想定した「先制攻撃論」「敵基地攻撃能力を持つ必要性」を合唱している。 さらに日本政府はさる2月15日の閣議で、「日本向けに発射された弾道ミサイルなどをMDシステムで迎撃する際の手続き」を定めた自衛隊法改定案を決定した。この改定案が成立すれば、防衛出動が発令されていなくても自衛隊がミサイルを発射することができるようになる。大野防衛庁長官が「365日、24時間、いつでも(ミサイルを)発射できる」と言うように、朝鮮を想定した「敵地攻撃能力の保有」「先制攻撃体制」の確立である。(H) (関連記事) 労働新聞 日本自衛隊の朝鮮侵攻作戦 「自ら禍招くもの」と強調 [朝鮮新報 2005.5.12] |