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〈朝鮮近代史点描-10-〉 朝鮮と清日戦争

 Q 朝鮮人にとって、清日戦争(日清戦争)とは、何だったのでしょう。

 A 日本人に人気の高い司馬遼太郎は「日本人は、日清・日露戦争までは正気であったが、それ以後は、慢心して狂ってきた」と、言ったといいますが、とんでもないことです。

 すでに清日戦争の時から、必死になってアジア侵略を始めたのであり、朝鮮人に言わせるなら、清日戦争は、実は内容的には日本の朝鮮に対する戦争という一面を持っていたのです。

 それを見ることにしましょう。農民軍が2月に蜂起し、5月末に全州を占領すると、政府は恐怖し、清国に出兵援軍を要請しました。それを聞くと、日本は直ちに「日本の公館および、在留邦人の保護」を名目に(日本は以後50年、他国の侵略を始める時、必ずこれを使ってきました)出兵を決議し、帰国中の大鳥公使に、陸戦隊400余名をつけてソウルに帰任させ、別途に1個大隊の先遣隊を宇品港から朝鮮に向け送り出し、6月8日、清国軍が牙山に上陸するや、早くも翌9日には仁川に上陸し、直行してソウルに入城しました。

 農民軍は、外国軍との戦争を避けるため、政府と「全州和約」を行い、矛を収めて故郷に帰ったのです。一件落着。外国軍が朝鮮に駐留する理由は、無くなってしまいました。

 日本は、ここで清に@日清両軍による内乱鎮圧(もう収まったというのに)A日清両国による朝鮮内政の改革(現在の米国のやり方に似ています)B改革成功までの駐兵−を提案します。清は@内乱は収まっており、両軍は撤退すべきであるA朝鮮の改革は自国の問題であり、内政干渉すべきでないと拒否します。

 日本は、国際情勢を打算しながら、ついに7月19日、朝鮮に対して清国との条約破棄、清軍の撤兵、日本軍の兵営建設などを要求する「最終的公文」(恐喝であり、宣戦布告です)を手交し、期限の22日の翌日未明には、なんと日本軍は王宮を占領、閔氏政権を転覆させ、大院君を担ぎ出しました。

 同時に日本軍は、牙山の清国軍を攻撃してこれを占領。海上では、日本艦隊が清国軍艦を次々に撃沈します。彼ら特有の夜討ち朝駆けによる全面戦争開始です。この戦争は、朝鮮を主な舞台として行われましたが、経過は省略します。

 清国側の消極的な避戦主義、勢力温存政策が、日本の勝利を容易にしました。また日本軍は、旅順占領の時、婦女子・幼児など非戦闘員6万人の虐殺など、その後、彼らの常習の犯罪を始め、それはすぐ朝鮮農民の家族にも及びます。これまでの経過を注視していた全琫準は、10月、再び蜂起し、公州に迫ります。今度は、農民革命軍の前面に禍々しい日本軍が立ち現れます。公州への要所、牛金峙をめぐり、奪い奪われること数十回、ついに農民軍は後退から崩壊となり、清兵よりはるかに多い死者を出すのです。清日戦争はまた、朝鮮に対する戦争であった「ゆえん」です。(金哲央、朝鮮大学校元教授)

[朝鮮新報 2005.5.10]