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〈朝鮮近代史点描-8-〉 東学と人乃天思想

 Q 東学とは、どんな新興宗教なんでしょうか。

 A 19世紀に入りますと、封建王朝の規律は乱れ、悪質な官僚も多くなって、あれこれ勝手な口実を作っては人民大衆に対する搾取を強化します。人びとの暮らしは、年ごとに苦しくなっていきました。さらに開国の後には、外来の資本主義の侵入によって農民経済はますます零落しますが、執権層はなんの対策もなく外勢にただ屈服し妥協するばかりでした。

 朝鮮の歴史にかつてなかった天地を覆うこの苦しみを見て、良心的な知識人は、民を救い、国を救う方策を考えざるをえなかったのです。

 慶尚北道月城郡の名家の生まれと自負する、崔済愚(1824〜64)もその一人でした。

 彼は、救世の道を儒教や仏教にさがし求めますが、満足できる答えを得ることができず、さらに、天の心を知るため山に籠もり、誠をつくして天に祈ること数年、ついに1860年4月5日、彼はたしかに空中で呼びかける、天の声を聞く宗教的な回心を経験したといいます。

 それを教理として整備し、1862年より公然と布教活動を開始します(弟子の崔時亨によって出版される「東経大全」「竜潭遺詞」参照)。

 東学とは、西学に対する朝鮮の教えとの意味で、彼は伝統的な儒教、仏教、道教の教えを基本として「人乃天」の観念を中心として、教理を展開しました。

 Q それでは、「人乃天」とはどういう教えなんですか。

 A 人乃天とは、人すなわち天=神の意味で、キリスト教のように、神をすべてに超越する唯一神と見るのではなく、一人ひとりの人間こそ神であり、女性も幼児も天=馬汗還=神として尊重されねばならないと主張します。

 すなわち、両班も賤民も、共に人間として尊重されねばならないとする、人間中心主義、人間平等主義を説いており、互いに尊重し合う地上天国を実現するためには、「後天開闢」(これからの新しい天地創造=革命)が必要であり、当面の暗い社会の改革のためには、封建政府の改革と外来勢力の排撃、すなわち反封建、反侵略の課題の解決が必要だという、きわめて革命的な思想の萌芽を内に含む宗教であったわけです。

 もちろん一般大衆には、呪文を定め、これを唱えれば安心を得られ、災害をさけられるとか、これを書いた紙の灰を飲めば恐ろしい伝染病を防ぐと宣伝しますが、信者は、互いに尊重し合い、団結を固めるため、組織として包(分会)や接(支部)を作り、責任者として包主、接主を任命します。

 この教えは、激しい勢いで慶尚道、全羅道、忠清道を中心に広がり、これに恐怖を感じた政府は、ついに崔済愚を「惑世誣民」(世間を惑わし、人々を騙す)の罪で逮捕し、処刑します。第二代教主崔時亨(1827〜98)は、さらに精力的に教勢拡大のために闘うのです。(金哲央、朝鮮大学校元教授)

[朝鮮新報 2005.4.28]