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〈朝鮮近代史点描-5-〉 不平等条約と開化政策

 Q 日本と結んだ、不平等条約の内容はどんなものだったのでしょうか。

 A それは、侵略的な資本主義国が、発展途上国に強要した条約として典型的な内容をもっています。

 もともと朝鮮の当局者たちは、世界情勢の発展による世界各国との開国交流の必要についての認識は芽生えはじめていましたが、突然「洋服」を着てやってきて、国交再開を求める明治政府の使節に、これは「洋夷」の尖兵ではないかと疑惑をいだきながら、日本に対しては、伝統的に維持してきた外交関係は再開せねばならないと考えたのでした。

 さて、江華島条約12項目の中の第1条ですが、「朝鮮国は、自主の邦にして、日本国と平等の権を保有せり」とあります。これは、あたかも日本が、朝鮮の主権を尊重、確認しているかのような印象を与えますが、その後の歴史的経緯から見るとき、これは今後の日本の横暴に対して、伝統的な深い関係をもつ中国との関係をあらかじめ切断する意図を含むものであったのです。

 また、開港場における日本人の租界地を認め、日本人に朝鮮海岸の測量と海図の製作を認め、両国民間の貿易活動に官吏の干渉を認めないこと、開港場における日本人犯罪者に対する治外法権などなど。

 日帝時代の日本人の横暴や、戦後の米占領軍の横暴を知るわれわれには、これがいかに恐ろしい条項であるかよく理解できます。

 また、日本貨幣の流通を認め、今後数年間、輸出入品に対する課税をしないことさえ認めたのです。これによって朝鮮国内の手工業、とくに紡績業は深刻な打撃を受けたのです。

 Q 開国後、朝鮮政府は、どのような開化政策を取ったのでしょうか。

 A 全国の儒生(各地の書院に所属しながら、儒教を学ぶ人たち。科挙試験の勉強をしながら、各地の世論を先導した)の根強い反対にもかかわらず、日本との国交を再開し、釜山、仁川、元山の3港を開港した政府でしたが、まず金綺秀一行を修信使として日本に送り、つづいて1880年にも、金弘集一行を日本に送り、日本の近代国家建設の様子を視察させました。

 金弘集一行は、行政機関、銀行、工場や鉄道などを見て、文明開化の有様に深く感ずるところがあったようで、西洋の技術を学び富国強兵を計ることの重要性を悟りました。そして新しく統理機務衞門という機関を作り、行政の近代化を計るとともに翌年、紳士遊覧団という日本視察団を送ることになります。(金哲央、朝鮮大学校元教授)

[朝鮮新報 2005.4.21]