東京で講演会 「済州島四.三事件と戦後在日朝鮮人運動」 |
「済州島4.3事件」57周年を記念する講演会「済州島四.三事件と戦後在日朝鮮人運動」が2日夕、東京の文京区民センターで開かれた。 まず、津田塾大学大学院生の村上尚子さんが「4.3事件当時の在日朝鮮人社会」について、ジャーナリストの西村秀樹さんが「4.3事件と朝鮮戦争反戦運動ー吹田事件を中心に」と題して講演した。 4.3事件は南の独裁政権によって実に半世紀近く歴史から抹殺されてきた。彼らは「左翼反乱への正当な公権力行使」と規定、また、南の歴史教科書には「共産主義者たちが選挙を混乱させるため起こした武装暴動」と記述するなどこの事件はわい曲、タブー視されてきた。 村上さんはこの事件について、当時、朝鮮新報の前身である解放新聞(48年5月25日付)が「騒擾済州島近況−漢拏山 根拠 遊撃隊三千」と大きく報じた後も、闘いの続報を載せ、全容を詳しく紹介した事実に触れた。さらに49年1月21日付は「惨! 警察 焦土作戦 人民被害死者九千五百 全焼七千戸」と報じ、島民「虐殺無慮三萬五千餘」と書いたと述べた。 また、村上さんは朝連中央時報(49年2月16日付)が「我等先烈に続かん−大阪生野支部で先烈追悼人民大会」と題する記事を掲載するなど、日本各地で在日同胞が同事件の犠牲者を追悼する会を開いていたと指摘。 同氏は4.3事件について在日同胞の間で、真相究明のための血の滲む努力が長い間続けられてきたことに敬意を表した。 一方、西村氏は、冷戦下で、日本政府が朝鮮戦争に実質的に「参戦」した事実について触れ、次のように指摘した。 「日本は文字通り、臨戦体制に組み込まれた。国鉄の輸送量に占めるアメリカ軍のそれは、朝鮮戦争開始後2カ月目で8%と、開戦直前に比べいっきょに2倍となった」 こうした日本の朝鮮戦争「参戦」に抗して、大阪の学生、労働者、在日朝鮮人が参加した反戦運動が吹田・枚方事件である。西日本の鉄道貨物の一大拠点、吹田操車場におよそ3000人が徹夜でデモ行進したのが、吹田事件(52.6.24〜25)。しかし騒擾罪に問われた吹田事件被告100余人に下された最高裁判決は、憲法21条「表現の自由」を根拠に無罪であった。 西村氏は歴史の闇に埋もれた日本の朝鮮戦争「参戦」への反戦運動に参加した人々の必死の思いや人間模様をじっと見つめると、平和の実現のためいま何をすべきか、あらためて考えさせられると述べた。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.4.13] |