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神戸で治安維持法日弁連勧告に関するシンポ 被害者の徐元洙さん訴え 「日本政府が謝罪するまでは死なない」

治安維持法による人権侵害を直接受けた徐元洙さんらが出演したシンポジウム(19日、神戸市)

 治安維持法による人権侵害で日本政府に謝罪と補償を勧告した日弁連勧告(2月2日)に関するシンポジウムが19日、神戸市の兵庫勤労市民センターで行われ、人権救済の申し立てを行った徐元洙さん(80、兵庫県伊丹市在住)をはじめ、同胞、研究者、活動家ら約50人が参加した。

 徐元洙さんは1944年8月、祖国での朝鮮人差別の実情を訴えたことなどを口実に逮捕され、45年2月に神戸地裁で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けた。日弁連勧告は、被害者が治安維持法の適用による人権侵害によって耐えがたい苦痛を被ったとして、日本政府に謝罪と補償を勧告している。

 シンポジウムでは、吉井正明弁護士が勧告の経過報告を行ったあと、徐さんが60年以上にわたる苦しみについて述べ、「日本政府が謝罪するまで自分は死なない」と訴えた。

 姫路獨協大学の家正治氏は、治安維持法による逮捕と有罪判決が思想、表現の自由に対する侵害であると認めたことは大きな意義を持つと指摘。洪祥進・朝鮮人強制連行真相調査団中央本部朝鮮人側事務局長は、在日朝鮮人の年間検挙率が日本人の4倍から53倍だったこと、適用第1号が朝鮮半島在住の朝鮮人だったことなどを挙げ、治安維持法によって朝鮮人が受けた被害の深刻さについて述べた。

 つづいて参加者たちが発言。留学同兵庫の活動家は、若い世代が過去についての認識を深め、運動を担っていかなければならないと訴えた。(李泰鎬記者)

【解説】治安維持法は、日本が天皇制や私有財産制を否定する運動の取締りを目的に、1925年4月に公布(同5月施行)された。とくに、戦争中は取締まりが厳しく、不当検挙や重い刑罰で思想や言論の自由を奪った。拷問による死者も出た。

 徐元洙さんは朝鮮での就職後、日本の植民地支配下での差別を実感し、日本に住んでいた中学時代の友人に差別の状況に対する自らの心情を書いた手紙を送った。その後、この友人が治安維持法違反容疑で逮捕された。身の不安を感じた徐さんは、日本に住む両親の元に戻ったが、治安維持法違反容疑で逮捕され、西宮警察署の独房に1カ月間留置された後、刑を宣告された。

 警察では友人との手紙のやりとりなど、交流関係について聴取された。「拷問はなかったが、水を一切飲ませて貰えず、また食事が少なく空腹でつらい思いをした」(勧告書)という。

 日弁連の勧告は、@1910年の韓国併合が無効であることから、それを前提とした治安維持法に基づく逮捕は違法、無効A「政治的または人種的理由に基づく迫害行為」であることから「人道に対する罪」違反として違法−と規定している。

 一方、朝鮮人強制連行真相調査団の調べによると、32年から43年の日本国内における在日朝鮮人の年間検挙率は、日本人の約4倍から53倍。しかも、これまで適用第1号とされていた「京都学連事件」(25年12月1日、日本人大学生ら33人を検挙)より3カ月も早い同年9月12日に判決が出ていた事件の適用者が朝鮮人だったという。

 同法は後に廃止されたが、49年4月に「団体等規制令」が、52年7月にはこれに代わるものとして、「破壊活動防止法」(破防法)が制定された。これをもとに公安調査庁などは、今も総聯と在日同胞を常に監視の対象としている。(聖)

[朝鮮新報 2005.3.24]