強制連行犠牲者の遺骨問題 真相調査団、協議会(東西)で討議へ |
光復60周年、過去清算を 昨年12月、祐天寺(東京都目黒区)に安置されているとされていた旧厚生省委託(1971年)の朝鮮出身旧日本海軍軍属の遺骨がなかったことが明らかになり、しかも、その犠牲者が靖国神社に合祀されていた事実は大きな波紋を呼んだ。それだけでなく、日本政府が追悼式とシンポジウム(同月)に参加予定だった北側遺族らの入国までも事実上拒否したことは、内外の怒りを買った。朝鮮人強制連行真相調査団をはじめとした北南朝鮮と日本の関係者らは、日本政府に謝罪と補償、迅速な調査と返還を求めた。こうした中、調査団は今後も遺骨の調査、収集活動、返還のための運動を展開していく方針だ。詳細は西日本(29日)、東日本(2月5日)で開催される全国協議会で討議される。 日本の不誠実さ露に
今年は、祖国光復60周年、さらには、実質的に日本が朝鮮を不法占領した「乙巳5条約」の締結を機に始まった在日朝鮮人史100周年、そして過去に朝鮮を植民地支配し、朝鮮人を含むアジアの民衆を苦しめた日本にとっては敗戦60周年となる。 北南朝鮮、そして日本で遺骨問題に取り組んできた人たちは、日本政府に対しこの問題に真摯に対応して一日も早く遺族たちに返還し、同時に謝罪と補償をするよう再三にわたって強く求めてきた。 しかし、日本政府は責任逃れに終始し、何ら反省の色が伺えないばかりか、不誠実で悪質な対応ばかり取ってきた。 昨年12月のシンポジウムでは、日米の両国が北側出身強制連行犠牲者の遺骨を公然と差別していた事実が、日本外務省の外交文書(2000年公開)から明らかになった。 また、光昭寺(北海道室蘭市)に安置されている朝鮮半島出身元徴用兵の遺骨3体の身元が判明。うち一遺族が1963年、池田首相(当時)に返還を直訴したが、交渉が断絶し、以降約40年もの間放置されてきたことが、同時に公開された文書で判明した。 北海道美唄市の常光寺では、無縁仏となっている遺骨34柱のうち6人の骨つぼに朝鮮人の名前が記されていることも判明した。
平壌、東京で国際協議も 祐天寺や西本願寺札幌別院などの寺や墓地には、無縁仏となっている強制連行犠牲者の遺骨が多く残されている。北海道、九州などの炭鉱や旧日本軍の軍事施設で犠牲になったあげく、いまだに収集されず土に眠ったままのものも多い。 日本政府はこれまで、自国の海外戦没者に対しては、その約半数となる約124万人の遺骨収集、送還を行った。99年からはDNA鑑定まで行っている。だが、朝鮮人犠牲者らに対してはあからさまに無視したままだ。 このような対応に対して、北南朝鮮両当局が共同で、謝罪と遺骨の収集、返還を求めていかなければならないと専門家は語る。 北では、調査団が提供した名簿にもとづき、遺族の捜索を行っている。さらに、朝鮮外務省スポークスマンは17日、声明を発表し、朝・日平壌宣言の精神に即して過去の清算のための決断と実践的措置を速やかに講じるべきであると主張した。 南では、盧武鉉大統領が昨年12月の小泉首相との会談席上、民間徴用者の遺骨収集への協力を要請。さらに、昨年9月に施行された「日帝占領下強制動員被害真相究明に関する特別法」にもとづき、本格的な調査が始まる。 謝罪と収集、返還を 日本政府は戦後約60年間、過去の清算のために、何ら自発的な動きを見せたことはない。すべて、在日同胞を含む朝鮮人民と、良心的な日本人らの運動によってしぶしぶ動かされたものだ。 72年8月に結成された朝鮮人強制連行真相調査団は、90年には20余都道府県に地域調査団を設け、運動の中心的役割を担ってきた。91年には、各地で現地調査に基づいた犠牲者の名簿を公開。92年には「慰安婦」問題関連の資料を初めて探し出した。調査団の地道な活動は、国連などを突き動かし、96、98年に国連人権委が日本政府に賠償勧告を行うなど、国際社会の理解と多くの連帯を得た。 その他、各地で遺骨の収集、強制労働跡地の調査、当事者への聞き取り調査が行われている。 昨年5月、ソウルで開催された「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会第2回会議」では、@旧日本軍「慰安婦」問題の解決を国連などで求めるA真相究明活動を強化するB遺骨調査、収集、返還活動を進める−ことが、8カ国約100団体の共同声明として採択された。 今年3月には、平壌で第3回、5月には東京で第4回協議会が予定されている。また同協議会は、4月の国連人権委で「慰安婦」問題の解決を訴えていく構えだ。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2005.1.27] |