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〈お祝いムード一色、10月の平壌〉 大豊作の田野、行楽でにぎわう名勝地

「私らいざと言う時は祖国のため命張ります」

総連女性活動家代表団

 総連女性活動家代表団の一員として、6日から16日まで祖国を訪問し、朝鮮労働党創建60周年を迎えて沸き立つ平壌市をはじめ、開城、板門店など各地を参観した。世界各地からの外国人観光客の姿はもちろん、全面的な北南交流の時代を迎え、多くの南の人々、日本各地、欧州、米国、豪州、中国、ロシア各地からの同胞参観団も目立ち、平壌は祝賀ムード一色。そこで出会った人たちの話を聞いた。

 新潟から5日出航した「万景峰92」号の船内では、ひときわ楽しそうな声が上がっていた。兵庫県尼崎市に住む都甲仙さん(71)とその仲間たちである。聞けば、59年前、尼崎市にあった民族学校(夜間学校)に学び、阪神教育闘争をともに闘った無二の親友だという。

貨客船「万景峰92」号の船内で語る都甲仙さん(左)

 「02年9.17以来、日本では反動右派勢力による反北騒動が引き起こされ、永らく祖国と日本を結んできたこの船便にもあらゆる圧力と嫌がらせが繰り返された。世界が、日本が何を言っても、在日同胞の祖国への道を閉ざすことはできなかった。その誇らしさを抱いて、平壌へ行けるのは本当にうれしい」と都さんの顔がほころんだ。

 都さんの隣で金明玉さん(仮名=71)も頷く。「当時、親が病気で、食べるものもなかった。風呂代がなくて、銭湯にもいけなかったことも。『朝鮮人、臭い、臭い』と日本の子どもたちに苛められてどんなに悔しかったか」。その場に居合わせた人たちの目に涙が浮かぶ。

 「朝鮮人を蔑む日本社会の中で、歯を食いしばって、生きてきた。私らは口は悪いけど、いざというときは、祖国のために命張りますやん」と都さんが語ると、「ホンマや、ホンマや」と周囲からいっせいに声があがった。

平壌を一望する平壌城の遺跡(国宝1号)と眼下の平壌市内

 朝鮮学校の建設委委員長として献身していた夫とは35年前に死別。一人娘を抱えてあらゆる苦労を重ねてきたが、嫁がせてホッと一安心もつかの間、阪神大震災で家が潰れた。しかし、その後再建し、今回の祖国への旅が叶った。

 さまざまな人の思いを乗せて、船はまるで鏡のように波一つない東海をすべるように進み、6日夕、元山に入港した。

 8日からは、平壌市内の参観スケジュールをこなした。市内は「朝鮮労働党60周年を祝う」スローガンが飾りつけられて、目抜き通りのビルの側壁も薄いグリーンやホワイトに塗り替えられ、窓ガラスもピカピカに磨き上げられている。

 平壌の全景を一望しようと、高句麗時代の552年から30年かけて造られた都城・平壌城の遺跡が残る牡丹峰にも足を運んだ。鶏頭の花や百日草、カンナ、コスモスが咲き乱れる中、古い城壁や清流亭、乙密台などを散策する。眼下には悠々と流れる大河・大同江が平壌の美しい街並みを映し出している。ここは、近代に入り、1894年の日清戦争時に日本軍の総攻撃を受けた主戦場。ついに同年9月15日、日本軍の手に落ち、以降、日本による朝鮮植民地支配の暗黒の歴史が始まった痛恨の地である。ここで出会った平壌市の技術者・李秀英さん(52)は「当時の話は父から聞いてよく知っている。朝鮮に近代兵器で押し寄せた日本軍は20万の兵力を誇り、朝鮮にはわずか3000の兵力しかなかった。武器も手動式のお粗末なもの。国を奪われた民族の1世紀以上にわたる血のにじむ苦難の記憶が、この地に立つと蘇ってきて、胸をかきむしられる」と語った。

豊作を祝う農民たちや親子連れの楽しそうな表情が印象的だった(開城市郊外の朴渕の滝)

 その言葉を噛み締めながら、翌9日には金正日総書記参席のもと、15万人収容のメーデースタジアムでマスゲーム「アリラン」を、10日には金日成広場で朝鮮人民軍閲兵式、たいまつ行進、夜会を鑑賞した。このすべての祝賀行事には市民50万人が参加したと言う。強盛大国建設へと力強く突き進む朝鮮の人々の気性を表わすかのような華やかで、りりしいセレモニーに世界各国から駆けつけた数千の外国人、海外同胞らは歓声をあげ、酔いしれるばかり。

 中国の長春市から20人ほどの同胞らと駆けつけた金東夏さん(45)は、閲兵式の様子に心を奪われた様子で、こう語った。

 「金正日総書記のにこやかな笑顔を見て、感極まった。超大国米国と日本による朝鮮打倒の謀略、陰謀を打ち砕き、朝鮮半島と東アジアに真の平和と和解の道を切り開いたその桁外れの政治、軍事力。一発の銃声もなしに、わが民族に、平和をもたらした金正日総書記の胆力はすばらしい」

 朝鮮では4日間の祝日が続いた。休暇を楽しむ行楽客が、名勝地を訪れる姿に心が和む。

 12日昼、平壌から高麗の首都・開城市郊外にある朴渕の滝に出かけた。200キロの車道沿いに広がる田野には黄金の稲穂が波打ち、大豊作を実感できた。途中の家並みも改装され、軒先で名産のマツタケや栗を売る農家も。滝に着くと楽しい宴と歌と踊りの輪がいくつも広がっていた。その中の陽気な千鳥足のハラボジが話しかけてきた。名前を聞くと開城市に住むチョウ・ユジェさん(68)。3年前まで金日成総合大学の数学科教授だったが、今は引退して悠々自適の暮らしだという。

世界遺産に登録された東明王陵

 「平壌から来たのかい?」

 「いいえ、日本です」

 「あぁ、よく来たね」と記者の手を強く握り、こう言った。「ウリ将軍を助けてくれよ。北と南、海外の同胞みなで力をあわせ、一日も早く統一を成し遂げて、民族の一大繁栄の時代を築かなければ」と。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.10.23]