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朝鮮中央通信 「北関大大捷碑」は民族文化遺産 一日も早い返還を

 【平壌6月30日発朝鮮中央通信】第15回北南閣僚級会談共同報道文では、北と南が日本から「北関大捷碑」を返還してもらうための実務的措置を講じる条項が明らかになった。

 わが人民の貴重な民族文化遺産である「北関大捷碑」は、壬辰祖国戦争時期に咸鏡道地方の義兵たちが朝鮮に押し入った倭敵を打ち倒した歴史的事実を記録した戦勝記念碑である。

 高さ1.8メートル、幅60センチ、厚さ15センチのこの碑には、当時の戦勝を記録した2千余字が刻まれている。

 1904年に露日戦争を口実に朝鮮に侵入した日本侵略軍は05年、咸鏡北道リムミョンヨク(現在の金策市)でこの碑を発見。こんな記念碑がここにあっては朝鮮人民の反日感情が高まり、朝鮮に対する自らの植民地隷属化策動に不利だとして、06年に極秘裏に日本に持ち帰ったとされる。

 現在、「北関大捷碑」は第2次世界大戦時期に朝鮮とアジア人民に大きな不幸と災難をもたらした戦犯の「亡霊」たちがさまよう「靖国神社」の一角にある。これは重大な犯罪行為として朝鮮人民の憤りを買っている。

 キム・ウンテク博士は労働新聞6月30日付への寄稿文で、「北関大捷碑」のこのような真相は、日本こそ朝鮮の優秀な民族文化遺産を破壊し略奪したことをしっかり見せつけていると書いた。日本当局は朝鮮人民の知恵と才能、反侵略闘争意志を示す「北関大捷碑」を強奪していったことを謝罪し、一日も早く返還しなければならないと、キム博士は主張した。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2005.7.4]