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社協・金和孝会長の談話 独島は先祖伝来からわが民族固有の土地

 在日本朝鮮社会科学者協会(社協)の金和孝会長は、島根県議会が「竹島の日」条例を可決したことと関連し18日、談話を発表した。全文は次のとおり。(中見出しは編集部)

歴史的、国際法的にも証明

 3月16日、日本の島根県議会は、「竹島の島根県編入100周年記念」と銘を打って、2月22日を「竹島の日」と制定する条例を可決した。

 植民地支配によって朝鮮に多大なる災難と不幸をもたらした日本が、敗戦から60年が過ぎようとする今日まで罪悪に満ちた過去を誠実に謝罪し補償しようとせず、再び朝鮮民族の尊厳と自主性を侵害したことに対し義憤を禁じえない。

 独島を初めに発見し代々開拓経営した国は朝鮮であり、この地を国土に編入し領有を宣布した国家も朝鮮である。

 独島が先祖伝来からわが民族の固有の土地であることは、すでに歴史的に、国際法的に証明されている事実である。

 独島が約1500年前の新羅時代に、朝鮮の人々により鬱陵島とともに開拓されてから高麗、朝鮮王朝の領土として引き続き存在した事実は「三国史記」「高麗史」「李朝実録」「世宗実録地理志」など朝鮮の数多くの国家文献と歴史資料に記録されている。

日本側も「本邦と関係ない」

 そればかりでなく、この事実は日本側の史料にも多く見られる。

 1696年1月、日本の江戸幕府が鬱陵島および独島が朝鮮の土地であることを認めて、日本人の鬱陵島水域への出入りを禁じたことや、1877年3月20日、明治政府の太政官であった岩倉具視が内務省に、鬱陵島と独島は「本邦(日本)と関係のないものと知るべきだ」と下達した指令などは、日本が独島を朝鮮の領土として認めていたことを示している。

 また、壬辰倭乱(1592年)のとき、倭将の川上久国がつくった軍事作戦地図(写本)や、1785年に江戸時代の有名な地理学者であった林子平が作成した朝鮮八道之地図(原本)、1896年に日本外務省が発行した図書などは、独島が朝鮮固有の領土であることをさらに雄弁に実証している。

 日本は、竹島編入に関する「島根県公示」第40号(1905年)を「竹島領有権」の根拠としてあげているが、これについていえば、長年独島への侵犯行為を繰り返していた日本に対し、朝鮮王朝が近代国際法に沿って独島が朝鮮固有の領土であることをあらためて公式に明らかにした勅令第41号(1900年10月25日公布)を無視し、日本が朝鮮を強制的に植民地化する過程のなかで一方的に公布したものである。

 このように当時日本は、すでに国際法による朝鮮の勅令が存在するにもかかわらず「島根県公示」なるものを作り出したが、これを朝鮮にはもちろん日本国民と国際社会にも通達していない。

ポツダム宣言でも明白

 戦後日本は、「独島領有権」は敗戦後も引き続き維持されたと主張しているが、これは事実を甚だしく曲げた詭弁である。

 敗戦国日本に対して、連合国が発表し日本が署名した1945年の「ポツダム宣言」第8項では、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに吾らの決定する諸小島に局限せらるべし」と規定された。

 諸小島の範囲については、その後、連合国最高司令部の覚書第677号(1946年1月29日付)で、日本の主権が及ぶ島が具体的に明記されることによって、朝鮮の鬱陵島、独島、済州島は日本主権が及ばない地域の島であることが確定された。

 にもかかわらず、日本が歴然たる事実を歪曲し独島の「領有権」を固執している今日の状況を見るとき、日本の本音がどこにあるのかということを憂慮せざるを得ない。

 植民地支配の歴史わい曲、過去の清算拒否に引き続き、今回の「独島領有権」主張も軍国主義復活、朝鮮再侵略野望から繰り広げられる危険極まりない挑発行為である。

 在日本朝鮮社会科学者協会は、日本の「独島領有権」主張を、朝鮮民族の尊厳と自主権に対する蹂躙、朝鮮の人々に対する冒とくとみなし、正義と真理を重んじる在日朝鮮社会科学者の名で強く糾弾するものである。

 今年は、日本の不法的な「乙巳五条約」強要から100年を迎える年である。

 朝鮮を植民地化し、甚大なる不幸と苦痛を強要しながらも謝罪と補償を誠実に行わず、今日再び朝鮮に対する侵略と支配を企む日本の反動勢力の行為を、われわれは決して許さないであろう。

 日本は歴史わい曲と領土拡張の野望を捨て朝鮮解放60周年にあたる今年こそ、過去問題の総決算に誠実に応じなければならない。

[朝鮮新報 2005.3.26]