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東京朝鮮第4初中、中級部3年 筑豊炭鉱に修学旅行 1世の足跡 現場で学ぶ

「動物より粗末な墓」に涙

「無窮花堂」の前でめい福を祈る東京第4初中、中級部3年生たち

 1世同胞の歴史を学ぼうと東京朝鮮第4初中級学校中級部3年の生徒らが11月30日、筑豊一帯の炭鉱労働で犠牲となった同胞の墓地、炭鉱跡をたどった。戦時中、日本最大の石炭産出地であった筑豊炭鉱に朝鮮半島から強制連行された人々は15万人にものぼる。当時、多くの朝鮮人たちが下関上陸後、貨車に詰め込まれ、この一帯の炭鉱で奴隷労働を強いられた。

 同校の修学旅行は前年までは京都、奈良方面だった。尹太吉校長は、「日本で過去の歴史がわい曲されているこんな時期だからこそ、筑豊を訪ねて同胞のルーツをしっかりと学ばなければならない」と今回のコースを設定した。

「来善氏から筑豊で亡くなった1世同胞たちの無念について聞く生徒たち

 生徒らは、福岡県田川市の石炭、歴史博物館を「東録氏(県内の日本学校を中心に朝鮮の歴史、文化、遊び、強制連行の事実を教えている社会運動家)の案内で見学した。その後、バスの車窓から多数の朝鮮人が強制労働を強いられた麻生セメント田川工場を概観した。同工場は、相次ぐ妄言を発する麻生太郎外務大臣が以前、代表を務めていた。当時の朝鮮人社宅は朽ち果てたまま残っていた。

 古河大峰炭鉱付近の公営墓地である日向墓地(田川郡添田町)では、筑豊の朝鮮人強制連行、歴史研究家の芝竹夫氏が一行を案内した。

 炭鉱で働かされ亡くなった同胞の墓は37基。ボタ石が置かれただけの粗末なものである。そのそばには犬猫の墓もあった。

芝さんの案内で37基の同胞の墓を訪れた生徒たち

 芝氏は生徒らに「足下の朝鮮人も故郷に家族がいたはずだ。日本人として、説明するのもつらい。各地に残された遺骨の身元を明らかにし、遺族に返したい」と話した。

 動物の墓よりもみすぼらしい同胞の墓に生徒たちはとまどったようで、しばし無言でそれぞれ生花を手向け、冥福を祈った。

 日向墓地をあとにする生徒らに芝氏は「これまで多くの学生を案内したが、修学旅行でお参りをする学校は初めてで感激した。しっかり学んでほしい」と強調した。

 最後に、筑豊地区に強制連行された約80人の遺骨を集めた飯塚市霊園に建てられた追悼堂「無窮花堂」を訪れた。堂の建立に中心的な役割を果たした「来善氏が一行を出迎えた。

墓前でお参りをする生徒たち

 故郷にも帰れずに亡くなった一世同胞の無念を思い、生徒らは千羽鶴で作った朝鮮半島の地図を堂に納め黙祷を捧げた。

 「初めは修学旅行がお墓参りではなくて、遊べるものと思っていた。本当に驚いたのは日向墓地だった。動物の墓よりも小さな墓が、朝鮮半島から渡日したハルモニ、ハラボジのものだとは。悔しさにたえられなかった。これまでウリマルを使い、歴史を知っているといっても、1世の歴史をよく知らなかったことを恥ずかしく思った」(金梨沙さん)
「亡くなったあとも猫や犬よりも粗末な墓で眠っているなんて、怒りが込み上げてきた。でも芝先生のように日本の人が、僕たちと同じように痛みを感じながら、どうにかしようと地道な調査を続けられていることに力づけられ、感動した」(金修吉くん)

 一日の行程を終え、尹校長は「石炭資料館には朝鮮人の記録が一字もなかったことにがく然とした。筑豊を訪れ、同胞の歴史を肌で実感することができた。教員たち自身も多くを学んだ」と話した。

 また、翌日には長崎県の原爆記念館と岡まさはる記念長崎平和資料館を訪れた。(金静媛、山口県朝鮮人強制連行事務局長)

[朝鮮新報 2005.12.19]