東京朝鮮第3初級学校創立60周年記念公演、世代を越えて 3世代、4世代がともに祝う |
たたみ部屋から始まった民族教育 東京都板橋区の東京朝鮮第3初級学校が創立されたのは1945年12月8日。 決して大きいとは言えない校舎と運動場の隅々には、この学校を代を継いで守ってきた同胞たちと学父母たちの深い愛情が込められている。 4日、東京朝鮮文化会館では同校創立60周年を記念して文化公演「第3一番!」が、たくさんの同胞、学父母たちの祝福のもと開催された。冷たい雨が降りしきる中、少しでも学生たちの公演を良い席で見ようと、学父母はもちろん、ハラボジ、ハルモニたちは2時間前から並び、開場時刻が来るのを待っていた。 写真で見る歴史
ロビーには1945年創立当時から現在に至る約500枚の写真が展示された。古ぼけた白黒写真や色あせたカラー写真、そして、最近の鮮明な写真まで、四角い写真枠の中で正面をまっすぐに見詰めている子どもたちの姿は、衣服や履き物、髪形を除けばどれも似たようなものだった。 第1期(1948年)から第58期(2005年)まで同校を卒業した生徒数は 2274人。 劉順貞さん(64、第6期)は、「私たちが学んだ時代は言葉通り『たたみ部屋』で始めた民族教育の時代だった。1、2年生、3、4年生、5、6年生がそれぞれ東西南北の方向を向いてひとつの部屋で勉強した。わが家では1期から6期まで4兄弟がみな、その教室で学んだ」と、当時を振り返る。
解放後の東京・板橋の同胞たちは、ある同胞の家と倉庫を借りて板橋朝鮮学院を開設した。平らな長い板で作った机と、同じく1枚板の長椅子に子どもたちが座って、朝鮮語と歴史、地理を学んだ。 劉さんの娘と息子はそれぞれ同校37、38、42期卒業生だ。孫たちも現在、初級部3年と1年に在学中。 長年、教育者として働いてきた劉さんは、「民族情緒は大人になって言葉を学んだからと言って急に身につくものではない。私は3、4歳の幼い頃に同胞の家で祖国が解放されたと言って『万歳! 万歳!』をのどが張り裂けんばかりに叫んでいたのを今でもはっきり憶えている。感情や情緒は実体験を通じて身につくものだ。昔はテレビもなかったから、子どもたちは大人の話を聞くのを楽しみにしていた。同胞たちの中で享受する実体験が、子どもにとっては民族性を育てる妙薬である」と話した。 生徒の公演に涙
全校生徒125人の力強い歌声で幕をあげた公演は、舞踊、器楽演奏、歌、演劇など生徒たちと教員、卒業生が出演して行われた。 公演を見た金奎恒さん(84)は、「生徒たちは本当に上手だった。子どもたちが笑みを浮かべながら踊る姿を見ると涙が出る。先生たちも指導するため苦労が多かっただろう」と語った。4年生に息子、2年生に娘を持つ洪美江さん(35)は、「世代を越えて伝わる、同胞たちの愛情を感じる公演だった。お年寄りたちと、その志を受け継いだ若者たちの力で今日の民族教育が維持されている。子どもを育てる母親としての責任をいっそう重く感じた。舞台で公演する生徒たちを眺める観客の温かい眼差しを見て、子育ては決して1人でするものではないと、力を得た」と語った。 また、38期から52期卒業生たちでつくられた「愛校会」事務局の李相元さん(22)は、「学校創立60周年にちなんで卒業生約60人で合唱をした。今後もいろんな方法で学校を支える活動を積極的に行っていきたい」と力をこめて言った。 在校生たちの力強い歌声が場内いっぱいに響き渡る。 喜び 喜び 心に抱いて 公演終了後、ハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニと一緒に写真展を見ていたある女子児童は、古い白黒写真の中にハルモニの昔の姿を、色あせたカラー写真の中からオモニの幼い時の姿を見つけ出して、「オモニもハルモニも、思ったよりかわいいね?」と言い、ハハハと笑った。(金潤順記者) [朝鮮新報 2005.12.10] |