top_rogo.gif (16396 bytes)

東北初中高創立40周年記念行事 1世の想い「イウリ(受け継ぐ)」

 東北朝鮮初中高級学校が創立40周年を迎えた。19日、記念式典と同胞、生徒らによる公演、合同同窓会に同校の卒業生はじめ歴代校長、教職員、生徒ら700余人が仙台市内のエクセルホテル東急に集った。「何十年ぶりだな」−久しぶりの再会に参加者たちは学生時代の面影を探しながら、昔話に花を咲かせていた。

ハッキョの灯守る

東北初中高の第1期卒業生たち

 同校は40年前、132人の生徒と12人の教員から始まった。そこから毎年のように30〜40人ずつ生徒が増え続け、そのうち教室の数が追いつかなくなったという。

 1965年から3年間、初代校長を務めた朴溢氏(75)。たくさんの同胞が学校建設のために尽力したと当時を懐かしむ。「寄宿舎でお風呂に入るとき、下級生の体を上級生が洗ってあげていた。休みの日に実家に帰った子どもたちは『オモニ、トラワッスミダ』と朝鮮語であいさつし、少しずつウリマルを使うようになった」。ほとんどの生徒が他県出身。涙ぐましいエピソードがたくさんあった。

 「大丈夫、オンマ帰っていいよ」−ハッキョの入学式後、娘は言った。親が去るときに子は目に涙を浮かべていた。仙台市の青葉城を見下ろす八木山の頂にある学校から、タクシーに乗って帰る親は心を鬼にして振り返らなかったという。初級部1年生から親元を離れて寄宿舎生活を送った子どもたちは、こうした体験を乗りこえながら「チョソンサラム」としてたくましく育っていった。財政負担など同胞の苦労は計り知れなかったが、東北地方にひとつしかない「ウリハッキョ」の灯を守り通した。

同胞の熱意に支えられ

東北初中高創立40周年記念公演「イウリ」

 1970年、東北に高級部を創設するときに尽力した同校3代目校長の朴柱栄氏(71)。当時38歳の若さだった。財政難の中、「並大抵の苦労ではなかった」と振り返った。それでも大勢の同胞らの熱烈なバックアップによって、まさに「お金と力と知識」により学校が建設されたという。同氏は、元来保守的な東北地方の地域にウリハッキョを建て守ってきたことの意義は大きいと強調する。

 また高級部創設のときには、「財政面に加えて教員不足にも悩まされた」と語る。この問題を解決するため、東北初中の先生を高級部に引き上げたり、朝鮮大学校を卒業したばかりの東北出身の新任教員や東京朝高、茨城朝高からもたくさんの教員を配置してもらえるようにした。

卒業生の気迫に圧倒

 この日、生徒と共に学校建設に献身した功労者はじめ大勢の同胞らが出演した記念公演「イウリ(受け継ぐ)」。公演名の由来は「1世同胞の想いを受け継ごう」というもの。公演を観ながら、「東北初中高で働いたことに誇りを感じる」と笑顔が輝く朴柱栄氏。また「学父母がこんなにたくさん出演した舞台を今まで見たことがない」と語る。

 記念行事を振り返り、李鐘大校長は卒業生らの学校を守ろうという気迫に圧倒されたという。「1世の想いを受け継ぎ、新しい世代の力を結集して、これからもハッキョを守っていきたい」と語った。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2005.11.26]