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〈教室で〉 東京第3初級 1年生担任 全文姫先生

 東京都板橋区の東京朝鮮第3初級学校1年生の教室に一歩、足を踏み入れると、児童らが駆け寄って来て、好奇心いっぱいの目で「アンニョンハセヨ!」「アンニョンハセヨ!」と競うようにあいさつをする。半年前までは、朝鮮語での会話ができなかったであろう児童らの早い成長に驚きながら、しばらく楽しいおしゃべりの様子を観察した。担任の全文姫先生は、「日頃よく使う言葉から教えると、頭の中にどんどん入っていって、学んだ言葉を使いたくてたまらないよう」とほほ笑みを浮かべる。

 全先生は初級部低学年の担任を18年、1年生は連続6年受け持っている。同校1年生は男子15人、女子10人の25人1クラス。来年度もすでに20人が入学予定だという。

 全先生は、子どもを初めて朝鮮学校に入学させる学父母たちのためにいくつか伝えたいことがあるという。「新入生を抱えた学父母たちは、当事者の児童以上に不安が多いと思う。朝鮮学校の場合、まず通学問題、そして、放課後、帰宅した子どもが家でどう過ごすのかという問題で悩む。その他準備する物は何か、お弁当は何を持たせるのか、知りたいことは山積みだ」。

 全先生自身も1男1女の母として、すべての母親と同様に「初めて子どもを学校に通わせた時は心配が多かった」と告白する。電車通学をはじめたばかりの頃は、下校時に自分の家ではなく、友だちの家にそのままついて行ってしまったこともあったという。

 「それでも子どもを大胆に信じて、何でもさせてみてください。手足があって、考えられる頭があり、口があって、少しだけ大人たちと話せる勇気を持っていれば、子どもはバスに乗り、電車に乗って、遠いところにある学校に通うことができるようになる。家の鍵を子どもに持たせることを極端に心配する親がいるが、子どもに鍵がどれほど大切な物かをきちんと説明し、責任感を持たせれば、子どもはちゃんと応えることができる」

授業の終わりをオルガンで知らせる

 また、1人で留守番をする児童には、母親と子どもだけの秘密の「暗号」を作り、それ以外の人が尋ねて来ても絶対に玄関を開けないという約束をすれば、「子どもは想像以上にそのことを実行することができる」と全先生は断言する。「重要なポイントは、学父母たちが子どもをなぜ朝鮮学校に通わせるのかということをよく話し合ってほしいということ。近くの日本学校ではなく、遠くの朝鮮学校に行かせる意味を子どもにもよく説明してくれれば」という。

 初級部1年生の児童らは、電車やバスの中で時折りマナーを守ることができなくて、大声で騷いだり、行ったり来たりしながらふざけることがある。「最近の子どもは自家用車に慣れているため、公共交通手段を利用する経験が少ない。長距離通学をさせる家庭では、子どもと一緒に電車やバスに乗って、マナーを守る習慣を身につけさせることも大切だ」。

 同校では通学班を組み、上級生が下級生たちの面倒を見る慣習がある。先に電車に乗った上級生は、後から乗ってくる1年生に席を譲り、電車を降りる時にも忘れ物がないか確認してから降りるという「美しい伝統」が受け継がれている。

 全先生はまた、「保育園のときに便宜上、わが子の名前を日本名で呼んでいた家庭では、朝鮮学校に入学させた以上『朝鮮名』で呼んでほしい」と強調する。児童が学校で先生や友だちに朝鮮名を呼ばれても、反応の鈍いことが多々あるからだという。

 朝鮮語が身につくように−。全先生は、毎朝、生徒たちに数字の「漢字読み」と「固有読み」の読み書きと、自分の名前と親の名前を書く練習をさせている。「授業中、数の数え方を学ぶのはわずか1時間。学父母たちと連絡帳のやり取りをしながら、民族教育を受けている学父母たちでも『ヨドル(8)』と満足に書ける人がそう多くないことに気づいた。これではいけない、子どもたちを教えるからには、朝鮮語をしっかり身につけさせなくては」。

 全先生は児童らの「会話力」にも力を注ぎ、「話し言葉」習得のため、学父母たちに家庭での朝鮮語の使用を勧めている。「箸、匙、布団など、家の中にある物の名前を朝鮮語でいうのも効果的だ」。

 全先生は、1〜6歳までの幼年期にどれだけ多く朝鮮語に接するかが母国語習得のうえで重要なカギになると考える。「学父母たちの中には、子どもの頭の中で朝鮮語と日本語がごっちゃになって混乱をきたすのでは? と心配する人もいるが、4〜5歳頃になると子どもたちは時と場所をわきまえて話すようになる。心配しないで、子どもの能力はすごいですから」。

 全先生によると、児童らが学校生活に慣れる速度は、「大人が干渉するほど遅くなる」とか。

 「心配でも、失敗を通じて学び、身につくことも多い。子どもを大胆に信じて」(金潤順記者)

チョン・ムンフィ:1962年生まれ。西東京朝鮮第1初中級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校師範教育学部卒業。東京第8、第6、第3で18年間教壇に立ち、初級部1年生を6年連続担任している。1男1女の母。学父母たちから厚い信頼を受けている。

[朝鮮新報 2005.11.19]