〈教室で〉 千葉初中 中級部 国語 鄭桂順先生 |
「作文は、そのすべてがウリマルと関連している」と語るのは、千葉初中で中級部の国語を担当している鄭桂順先生。鄭先生は今年、教鞭を執って44年目になる。 「異国で暮らしても、新しい世代に母国語を教え、生徒たちがウリマルを愛し、正確に使えるよう尽くすのが国語教員たちの使命」という鄭先生は、毎年、朝鮮学校の生徒たちを対象に催されている「コッソンイ(花房)作文コンクール」の中級部韻文部門で、同校生徒が高い成績を収めるのに一役買っている。 「中級部の生徒たちの場合、さあ、詩を書きましょう、ウリマルで作文を書きなさい、と機械的に課題を与えてもダメなんです。そういう時、生徒たちの表情を見ると、とても意欲的とは言えない。生徒たちがより詩に親しみやすくなれるよう教員たちが導いていかなくては」 鄭先生は、良い詩を選び、積極的に生徒たちに紹介している。朝鮮語の詩、日本語の詩、有名な詩、過去に千葉初中の生徒たちが創作した詩など。在学生の先輩にあたる過去の生徒作品を読む時には、当時その生徒が置かれていた状況と心情も付け加えて説明する。 次に、何を、どのように書くのかを指導する。その時提示するのが「素材一覧表」。そこには、人、物、行動の関係が図式化されている。 「詩は、ある事柄に対して瞬間的に感じたり、思ったりしたことを、リズムに合わせて短く表現するもの。生徒たちに強調するのは、『自分が感じたこと』『自分だけが思ったこと』を表現するということ。それが詩でいう『発見』になる」
鄭先生は、「素材は、空、砂、蟻など無限にある。その限りない素材の中で、その対象のどんな点に注目し、そこで何を感じて思うのかを表現させる。段階を経てきちんと指導し、生徒が見て感じたこと、思ったことを書かせれば、彼らは特別な能力をもった者だけが詩を作れるといった、詩の創作に対する神秘性から脱して『自分にもできるんだ』と思うようになる」と話す。 鄭先生は、生徒たちの作品の出来がよくてもそうでなくても、みんなの前で発表させる。そして、ほかの生徒たちの感想を聞き、その作品のどこが良くて何が課題なのかという客観的な意見を収集し、それらを参考にして指導する。詩を書いた生徒は、友だちの助言を胸に刻む。 一つの詩を完成させるのに費す時間は7〜8時間。その生徒だけの「発見」があるかどうかを最も大きく評価する。分かち書きや綴字を指導するのは最後の仕上げのときだ。 「作文コンクールに応募する場合は、5〜6回は推こう作業を重ねさせる。生徒自身、納得いくまで討論を交わすので、お互いその過程を通して学ぶことも多い。生徒と膝を突き合わせてもっと良い表現はないか、一緒に悩む。繰り返し、繰り返し、納得のいくまで話し合う」 鄭先生は、作文は表現や技巧を競うのではなく「心を育てること」と考える。生徒たちが自分の友だちや学校、自然を観察する力と、考える力を育てる作業だという。そのような心は生徒たちみなが持っているし、それを目的意識的に指導すれば、ただ通り過ぎていたものにまでも注意を払い考えるようになる。 中級部の生徒たちの中には、自分のノートにこっそりと日本語で詩を書いている者もいる。日本で生まれ育った彼らが知る朝鮮語の語彙の数は、初級部から中級部に進級してもあまり変わらないことから、多感な中級部の生徒たちが母国語で自分の気持ちや考えを表現するにはハンディがある。それで生徒たちはたびたび同じ言葉を繰り返し、作品が単調になってしまう。 その点をクリアするために、鄭先生は生徒たちに「朝鮮語の名詩」をたくさん読んで聞かせている。ウリマルの言葉の響きと「ウリ」の感性を感じさせるために。生徒たちは気に入った作品や印象深い表現があると、先生をたずねてきて作品をコピーする。 「生徒たちが関心を持って知りたがっていれば教える。教員が生徒に向かって、『良かったでしょ?』と自分の感想や思考を押しつけてはならない。感じて学ぶことは生徒たち自身だから」 今年、千葉初中では学校をあげて「ウリマルをよく学び常に使う模範学校」を目指している。毎月第2土曜日の課外活動の時間を利用して、年間を通して作文指導を行っている。国語の授業はもちろん、年間を通して行われているウリマル運動を通じてたくさんのウリマルを学んでいる同校では、初、中級部の教員全体がハングル検定試験を受けるため週2回時間を割いて教員たちの学習も行っている。また、学父兄たちを対象に新聞も発行して、家庭でのウリマル使用を強く呼びかけている。 「せっかくお金を払って民族教育を受けさせているのだから、生徒たちのウリマル能力を高めるために大人が貪欲に、できるかぎりのことをしなくては」 千葉初中では、学父母たちを対象にしたウリマル講演と学生たちの作文紹介も計画されている。(金潤順記者) [朝鮮新報 2005.10.17] |