top_rogo.gif (16396 bytes)

3年目迎えた入学おめでとう応援隊B 民族学校は「地域住民の公共財」

国際標準を認識

「朝鮮学校の学生たちを守ろう」とビラを配る(04年、東京)

 日本の市民社会には伝統的に「日朝友好運動」という流れがある。しかしそうした流れからは朝鮮学校への暴力に対して、素早い対応ができなかった。実際のところ応援隊をリードしている日本人たちは、日朝友好運動とはまったく異なる分野で活動してきた人ばかりである。大きく二つの分野に分けることができるが、一つは国際協力の分野で活動し、その一環として朝鮮への緊急支援活動に参加した人々であり、もう一つは地域運動として在日コリアンを含む外国人市民の人権運動に参加してきた人々である(私は後者に属する)。

 こうした人々の共通点は、外国人市民は自分自身のルーツを知るために民族教育を受ける権利があるという、グローバルスタンダード(国際標準)を認識しているという点である。また、国家と地域住民を分けて認識し、当該外国人市民の母国と日本国の間にどんな葛藤があっても、民族学校は「地域住民の公共財」として守られるべきと認識しているという点である。日朝友好運動は、国家や公民という認識から抜け出すことが難しかったが、応援隊はまったく異なる観点から接近しているため、むしろ素早い対応力を身につけたわけだ。

 大切なことは、国際協力であれ地域運動であれ、国家間の関係ではなく、人権という概念から始まっているということである。とくに私が働いている川崎市には特別な事情がある。それは、川崎市が「拉致被害者家族連絡会」の横田滋会長ご夫妻が住む都市であることだ。横田会長の娘であるめぐみさんは、中学生だった当時、拉致され、「既に朝鮮で死亡した」と朝鮮が02年に発表した。

 反北朝鮮の声が高まる中、日朝友好運動は応援隊どころか本来の活動も困難な事情となった。しかし、人権という概念から接近する人々は、日本人拉致問題と微妙な距離をとりつつ応援隊を組織することができたのである。

直面する問題点

 応援隊が直面している問題は多いが、主に二つを挙げることができる。

 学生たちの学校生活は、入学式だけで終わるのではない。残り364日を不安なまま学校に通わなければならないという点を申し訳なく思うが、ここに応援隊活動の限界が表れている。現在、入学式だけでなく運動会、学芸会、公開授業のような行事の際に広報し参加するネットワークを検討しているが、継続的な組織を形作っていくためには、事務局を担う団体がないなど課題が多い。

 また、応援隊活動は、いまだ神奈川県に限られている。一部地域では大学教授などを中心とした「民族教育を考える会」のような団体があるが、知識人中心であるためか、情勢に合わせた素早い対応はできずにいる。

 04年夏、東京で朝鮮学校の学生への暴力事件が起こった際には、私たち応援隊が神奈川から東京まで行き「朝鮮学校の学生たちを私たちが守ろう」というビラを配ったりもした。私は、朝鮮学校に対する抑圧と暴力が存在する限り、応援隊活動が必要だと考えている。

 しかし、日本の市民運動の特徴がよく「孤立、分散型」にあるといわれるように、応援隊もこうした活動を広めるだけの全国的なネットワークがいまだにないのだ。

「全国ネット」を

 応援隊は、「子どもたちは誰もが安心して教育を受ける権利を持っている」という最低限の共通認識さえあれば気軽に参加できるが、このことがむしろネックにもなりうる。参加者はもちろん、発起人など核になる活動家の中でも、朝鮮総連や朝鮮政府に対する認識に少しずつ差異があるためである。

 植民地支配はもちろん、冷戦体制化で日朝関係は激動を繰り返してきた。朝鮮学校は日本政府が作った制度的な差別に立ち向かい、その権利を勝ち取ってきた歴史を持つ。また、南北関係の変化により、在日コリアン社会での朝鮮学校の位置も大きな変化にぶつかってきた。

 朝鮮学校や朝鮮総連関係者の中でも、応援隊をはじめとする日本の市民社会に対する見方は多様である。こうした歴史的な過程と現状をきちんと認識し、応援隊活動を発展させていくことは、簡単なことではない。

 とにかく現在の状況では、応援隊内部にもさまざまな見方の違いがあるという事実を、朝鮮学校や朝鮮総連の関係者の方々にも御理解いただけたらと願っている。(小田切督剛、「入学おめでとう応援隊」発起人)(つづく)

[朝鮮新報 2005.5.18]