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沖縄・「平和の礎」 存在と悲劇、今なお闇の中に

真相を明かす決意を

 戦争当時、沖縄には朝鮮半島から1万人を超える人々が連れてこられたと言われている。その目的は、兵士、強制労働者、日本軍「慰安婦」などさまざまだったが、その多くが沖縄で亡くなった。しかし、沖縄の戦没者の記録には朝鮮人軍人、軍属、「慰安婦」の数は含まれていない。また、正確な犠牲者の数などもわかっておらず、彼らの存在と悲劇は今なお闇に包まれたままだ。

 沖縄ではこれまで、その真相を明らかにし、犠牲者を追悼するとともに歴史を繰り返さないための試みが重ねられてきた。渡嘉敷島での日本軍「慰安婦」のための「アリラン慰霊のモニュメント」建立、久米島の「久米島在朝鮮人痛恨の碑」、摩文仁の「韓国人慰霊塔」などである。

北南合わせて426人、不十分な刻銘

 沖縄県糸満市摩文仁平和祈念公園の平和の礎(いしじ)の刻銘碑には、現在まで判明している沖縄戦での犠牲者23万9801人の名前が、国籍や軍人、民間人の別なく刻まれている。刻銘碑では朝鮮半島出身者の氏名が朝鮮民主主義人民共和国と「大韓民国」とで分けられており、刻銘されている犠牲者数はそれぞれ82人、344人となっている。戦没者の氏名の確認は難渋を極めているが、刻銘碑には年々新たな名前が刻まれている。

 ここでも朝鮮半島出身者の名前が不十分であるという指摘がある。刻銘碑の朝鮮半島出身の犠牲者が刻銘される場所には、相当のスペースが確保されている。今後、時間がいくらかかろうともすべての名を刻むよう求めていくべきだ。(麗)

[朝鮮新報 2005.12.13]