千葉・実相寺 茂原市で9体確認 |
朝鮮名は3人だけ 千葉県茂原市の実相寺に朝鮮半島出身者とされる遺骨9体が安置されている。祖国解放後、火葬されこの寺に預けられたという。 遺骨は1992年、「朝鮮人強制連行の真相を調査する千葉県朝・日合同調査団」の調査で確認された。同寺の過去帳には記載されておらず、身元を調べることが困難だ。 唯一の手がかりは、遺骨箱に記された名前と寺に預けられた日付だ。しかも朝鮮名は3人だけで、残りは創氏改名のままだという。 寺院所在地に77戸 茂原市では1941年、大規模な海軍航空基地建設が行われた。昼夜問わない突貫工事に付近の住民や中学生まで動員された。太平洋戦争の局面が悪化してからは、多くの朝鮮人が強制連行された。危険な工事の犠牲になった朝鮮人もいたとの証言も残っている。 調査団の聞き取りによると、朝鮮から連行されてきた人たちは、飛行場内の仮設住宅に収容され、45年ごろには八丈島の航空基地建設など「危険地域」に送り込まれた。 飛行場周辺には、朝鮮人の飯場があったとおもわれる。91年に調査団の要請を受けた茂原市教育委員会は、当時の学籍簿から茂原地域に朝鮮人世帯が130戸あったことを確認した。なかでも実相寺の所在地、高師には77戸があった。 埋火葬許可証の洗い直しを 調査団のメンバーらは11月3日、実相寺を訪れ焼香した。調査団の康東勲朝鮮人側代表は「遺族はたいへんな気持ちでいるはず。遺骨を家族のもとへ返してあげたい」と語った。 実相寺の住職によると、日本政府からの問い合わせはなかった。住職は、他の寺院への問い合わせなど協力するとした。調査団は県と市に対し埋火葬許可証の洗い直しを求めるとともに、幅広く調査活動を進めていく。【千葉県強制連行調査団】 [朝鮮新報 2005.12.13] |