在日朝鮮人史100年記念シンポジウム 東京で、「乙巳5条約」は無効 強制連行は違法 日本に被害回復の義務
「『乙巳5条約』強要から100年 在日朝鮮人史(1905年条約)100年記念シンポジウム−歴史的事実と法的視点から検証する−」(主催=朝鮮人強制連行真相調査団)が12日、中央大学駿河台記念館(東京都千代田区)で行われた。同胞、日本の市民ら約250人が参加した。第1部(司会=矢澤康祐・専修大学名誉教授)では康成銀・朝鮮大学校教授と荒井信一・駿河台大学名誉教授が「乙巳5条約」について報告。第2部(司会=神奈川調査団日本人側事務局長の原田章弘・横須賀市議)では総連中央の高徳羽副議長兼同胞生活局長(調査団朝鮮人側中央本部代表)があいさつし、洪祥進・調査団朝鮮人側中央本部事務局長、空野佳弘弁護士(調査団日本人側全国連絡協議会事務局長)、金舜植弁護士(在日朝鮮人人権協会理事)が在日朝鮮人100年史と法的地位について報告した。
軍、第3国の文書発見
12日、中央大学駿河台記念館で催された在日朝鮮人史100年記念シンポ 荒井名誉教授は、条約締結の過程で日本側の強制があったことを裏付ける2つの史料について解説し、同条約の無効を強調した。
史料の一つは、旧日本陸軍省の「明治三十七八年戦役陸軍政史」。それによると、当時、長谷川好道(韓国駐留軍司令官)は条約に反対する韓国の大臣らを憲兵に厳しく監視させ、旧王城前広場に騎兵隊や砲兵隊を配置し威嚇行為を行った。さらに軍部大臣に対して、「最後の手段が何かは言わないが、私は京城における最高の武職にある」などと言って脅迫した。
もう一つは、当時、エドウィン・モーガン駐韓米国公使が国務長官に送った1905年11月20日付の報告書。「日本軍の示威行動が高宗皇帝や市民らに、日本の要求に抵抗することが不得策であることを印象付けた」「調印が自由な行為として行われたようには思えない」などと記されている。
荒井信一名誉教授
康成銀教授
当時、米国公使館は「乙巳5条約」が「締結」された漱玉軒(現在の重明殿、ソウル市)の隣にあり、低い塀で仕切られているだけだった。モーガン公使は伊藤博文と長谷川好道が会場に入ったようすや、日本の憲兵らがベランダや裏口への通路を固めているのを目撃していた。
高宗皇帝の「協商指示、裁可」説に対する批判を展開した康教授は、これまで「乙巳5条約」の法的評価をめぐる論争においてひん繁に用いられていた「韓国特派大使伊藤博文復命書」には、修正、事実わい曲の痕跡があると指摘した。「復命書」には草案があり、「皇帝が保護条約に同意しない」と記されているが、あたかも同意したかのように書き換えられたという。
また康教授は、日本の要求に抵抗する高宗皇帝や韓国政府の主体的な動きがあったことに注目しなければならないと指摘。さらに植民地支配に関する問題を国際法の観点からとらえることが今後重要になると強調した。
民族差別に終止符を
洪祥進事務局長
空野佳弘弁護士
洪事務局長は、1910年の「韓国併合条約」以前に、朝鮮人労働者の日本各地への動員が行われていた事実について報告。「極東軍事裁判」において中国人強制連行が「人道に対する罪」として裁かれたことなどについて言及し、日本による朝鮮人強制連行を戦争犯罪としてとらえ、責任を追及する必要があると述べた。
戦後日本の在日朝鮮人政策について報告した空野弁護士は、歴史を正しく認識しなければ在日朝鮮人の存在を理解できず、友人にもなれないと指摘。大規模な歴史の偽造、ナショナリズムの高揚や民族差別と対決していかなければならないと述べた。
金舜植弁護士
尹碧巖住職
朝鮮学校の歴史的経緯と現状について報告した金弁護士は、日本は朝鮮学校に対し敵視、不保護、放置の政策、同化政策をとってきたと強調。「韓日会談」でも朝鮮学校を弾圧するような議論がなされ、今もその思想が受け継がれていると指摘した。そして、同胞と日本の市民が連帯してたたかうことが重要だと述べた。
シンポジウムでは、国平寺(東京都東村山市)の尹碧巖住職が日本に強制連行され犠牲となった朝鮮人の遺骨問題について特別報告を行い、日本政府の誠実な調査と一刻も早い返還を求めた。
また、歴史認識を深め未来を創造する情報ネットワーク「Eスペース−歴史から未来へ−」の代表らが立ち上げ報告を行い、植民地支配や強制連行による被害の真相究明や情報共有、史料の保存などに取り組むとし、メーリングリストへの参加などを呼びかけた。
集会の最後には、日本政府が正しい歴史認識を持って、過去の植民地支配と侵略戦争を反省し、その責任を果たすことを要求するアピール文が採択された。(李泰鎬記者)
[朝鮮新報 2005.11.17]