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〈朝鮮の食料問題解決とジャガイモ栽培A〉 総連と日本の専門家の支援

 総連北海道本部は総連中央の指導のもと、朝鮮のジャガイモ農業革命、種子革命に寄与する目的で、2001年から03年までの3年間、両江道の大紅湍郡と黄海南道の信川郡で「総連ジャガイモ栽培試験圃場」を設けて、多収穫、高澱粉優良品種の導入とその栽培試験に取り組んできた。

北海道の原々種生産圃場を視察した朝鮮の代表団(01年6月)

 その結果、大紅湍ではジャガイモ単作(主作)で1ヘクタール当たり60トン、信川では2毛作で40トン水準の収穫を上げることができた。

 北海道本部では、北海道のジャガイモ専門家、技術者の協力を得て「総連ジャガイモ栽培技術集団」を結成し、9次に至る現地との往来を重ね試験栽培で成果をあげることができたのである。

 北海道本部はこの試験栽培を成功させるため、商工会や女性同盟など北海道同胞たちの温かい支援を受けながら10余品種に及ぶ数百トンの優良品種イモ、数十トンの肥料や農薬、それに培土機や播種機をはじめとするいろいろな農機具、気象観測や浴光催芽に必要な設備などを準備し試験栽培中の現地に送ってきた。

 ここではまず、日本の農業専門家との交流から話を進めよう。

 総連のジャガイモ栽培技術代表団の活動は、日本の農業専門家の温かい支援を抜きには考えられない。

 彼らの、朝鮮の農業発展を願う情熱とジャガイモ栽培に関する豊富な知識と経験。それらを惜しげもなく注ぎ込んで大紅湍の厳しい生活条件の中で年に何カ月間も現地の人たちと寝食を共にし、ジャガイモのために捧げてくれたその崇高なボランティア精神、ジャガイモをこよなく愛するその一途な姿はいまでも私の脳裏に焼きついて離れない。

 日本の専門家たちが朝鮮のジャガイモ栽培支援に関わるようになったきっかけは、99年8月の北海道日朝農業交流訪朝団の結成にあったといえるだろう。

 訪朝団は7人で構成され、朝鮮の農業科学院、複合微生物研究所、美林総合農場などの担当者と農業技術交流を行った。

 とくに通訳を務めた農業科学院生物研究所副所長がジャガイモの組織培養を行っていたこともあり、ジャガイモに関する意見交換が多かったという。

 訪朝後、道農政部OBの佐藤久泰先生が技術的な窓口となりジャガイモ関連農業機械類の援助や種イモのあっ旋、肥料や農薬のあっ旋、無病種イモ生産、ジャガイモ栽培に関する相談などに対応するようになった。

 01年から始まった大紅湍郡でのジャガイモ試験栽培の活動には日本の農業専門家が「総連ジャガイモ栽培技術代表団」の一員として訪朝し、現地での植付けなどの技術指導を行ってきた。

 とくに元農業改良普及センター所長の沢辺外喜雄先生は、03年までの3年間に計7回も現地を訪れて技術指導に当ってくれた。

 技術指導の内容については後述することにして、ここでは時を同じくして朝鮮農業技術交流代表団が訪日し、日本の農業関係者と交流を深めた活動について触れることにする。

 朝鮮農業省のユン・ウォンスン副部長を団長とする3人の代表団が訪日したのは01年の6月26日で、7月4日までの間に北海道で道庁やホクレン本部への表敬訪問をはじめとして、生産農家との交流会を3カ所で、種苗管理センターや中央農業試験場など4カ所の試験機関の視察、また5カ所の生産圃場の視察などあわただしい日程の中でこれらの活動をこなしていった。

 この朝鮮の農業技術交流代表団の訪日は大紅湍でのジャガイモ農業で北海道方式をどのように導入するのか、とくに無病種イモ生産のための採種体系を確立し、優良種子の育成をはじめとする栽培技術についての意見交換を通して、大紅湍で農業革命方針を貫徹する確固たる展望を切り開いたという点で意義ある活動であったと思う。(洪彰澤、元朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2005.8.20]