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〈夢・挑戦−在日スポーツ人〉 朝大ラグビー部監督37年 全源治さん

 朝鮮大学校ラグビー部監督の全源治さん(71)が8月に退任する。在日朝鮮人の「ラグビー史」はこの人を抜きにして語れない。九州朝鮮中高級学校赴任後、生徒たちにラグビーを一から徹底的に教え、朝大に赴任した68年に同大ラグビー部を創部した。それから37年間、すべてを在日ラグビー発展と次代の教育のために注ぎ込んだ。「すばらしい在日ラグビー選手を各地に送り込めたことを誇りに思う。ラグビーを通じて、同胞組織発展のためにこれからも奮闘してほしい」と後輩らにエールを送る。

在日ラグビーの発展に人生を捧げてきた全源治さん

 「今は『仏の全さん』って呼ばれているけど、昔はそうじゃなかったんだよ」

 屈託のない優しい笑顔に刻まれる深いシワ、がっしりしたラグビー選手そのものの「体躯」を表すかのような野太い笑い声が辺りに響く。

 全さんにラグビーを教わった朝大卒業生は500人を超す。その卒業生らが各地朝高のラグビー部を創部し、社会人ラグビーの闘球団を作った。現在、全国にある闘球団は、全監督の教え子たちで構成されているといっても過言ではない。

 「こんなに在日社会にラグビーが浸透していくなんて思ってもいなかった。朝鮮人はサッカーしか知らないから(笑)。一生懸命やればその背中を見て、やる人間がでてくる。継続こそ力だよ」

 全さんのアボジは、植民地統治下にあった故郷の慶尚北道星州から安定した生活を求め、佐賀県に移り住んだ。

全さんの功績を称え、第20回在日本朝鮮人ラグビー選手権のレセプションに訪れた関東協会の龍野和久会長(6月11日、浅草ビューホテル)

 1934年、6人兄弟の長男として全さんはそこで生まれた。後に福岡に移住し、福岡明善高校1年の時にラグビーを始めた。「自分の性に合うし、これこそ朝鮮人の気質に合うスポーツだと思った」。

 全さんは勉学に励もうと決意を固めるが、朝鮮人に対しての差別が根強いため、「卒業してもなかなか就職先がない」ことを知る。

 「それなら好きなラグビーで一花咲かせよう」

 高校3年間のラグビー生活でもっと上を目指したいという思いが強くなった。伝統ある明治大、早稲田大ラグビー部などに入りたかったが、私立大は学費が高く遠い夢の話だった。

 ある日、知り合いから東京教育大学(現筑波大学)に来ないかと声がかかった。寮に入れて奨学金が出ると聞かされて即断した。4年の時には主将を務め、CTBとして活躍した。

 大学卒業前、日本学校の教師になろうと思ったが、「朝鮮人」という壁が立ちはだかった。阻まれると余計に「日本社会の中でもまれてやっていきたい」という思いが募る。一方では「教育とは何か」という問いが心に重くのしかかっていた。

 「『教育』ってその国の人間を育てるものだと気づかされた。朝鮮人が日本人をどうやって教育するんだって。それなら朝鮮学校しかないと」

 57年に東京教育大を卒業。運よく前年の56年に創立された九州朝鮮中高に赴任した全さんは、1年後の58年にラグビー部を創部した。

 全さんは、運動場にボールを2つほど転がせておいた。これが朝鮮学校でのラグビーの始まりだ。

朝鮮大学校ラグビー部の部員と共に

 「見たこともない楕円形のボールに生徒らは、『なんだこのボールは?』なんて話しながら蹴っている。その姿を見ながら笑ってしまった」

 練習を重ねること1カ月。試合を組んだがもちろん惨敗。

 「ケンカで負けたことのない日本学校に敗れたので悔しがってね。それから、練習と試合を繰り返していくうちに点差が縮まってきたんだよ。ラグビーのおもしろさを実感してくれていたね」

 九州中高に11年間勤め、朝大に赴任したのが68年。すぐにラグビー部を創部した。37年間、「気迫で負けるな」「闘志を燃やせ」「相手を怖がるな」「懐に低いタックルを決めろ」と叩き込んだ。

 「試合に勝った、負けたは二の次。自分がどれだけベストを尽くしたか。それが大事」
 朝大ラグビー部は当時、関東大学ラグビー連盟に所属できなかった。朝大が文部省(現文部科学省)の認める「1条校」ではなかったからだ。

 そこで全監督の友人や知人の力を借り、日本の大学との練習試合を重ねた。88年には初出場した東京都大学クラブ選手権で優勝。その後もクラブ大会で挑戦を続け、99、00年には関東学生クラブラグビー選手権大会で2連覇を達成し、大学クラブでの存在を確固たるものにした。

 この間、在日本朝鮮人闘球協会や日本の各大学のラグビー部監督らが働きかけを続けた結果、関東大学ラグビー連盟への加盟が現実問題として浮上。00年2月、同連盟総会で朝大ラグビー部の正式加盟が満場一致で決まった。創部から33年の事だ。

 「総会には50以上の大学が集まり、満場一致で採択された。あの時の万雷の拍手は忘れられない。わしも学生もみんなで喜んだよ」

 ラグビーが結ぶ、国境を超えた固い友情。全さんは「ラグビーを通してさまざまな人たちと交流できたし、お世話になった。心から感謝したい」とほほ笑む。(金明c記者)

[朝鮮新報 2005.6.30]