新潟県中越地震から7カ月 店舗建て直し営業再開 焼肉店全壊した川口町の李夫妻 |
県下同胞ら門出祝う 「助けてくれたみんなのおかげ。一生忘れない」 昨年の10月23日、新潟県中越地方を襲った地震で34戸、100人の同胞らが被災した。あれから7カ月。被害の大きかった長岡市、小千谷市、十日町市などでは、住宅や商店の再建をはじめ、道路、農業基盤、ライフラインの本格的復興工事も始まり落ち着きを取り戻している。当時、一番被害の大きかった地域が川口町。同町で焼肉店を営んでいた李相烈さん(65)は、自宅兼店舗全壊という被害に遭ったが、再建のために立ち上がり、今月2日に店を再オープンさせた。
総連新潟県本部の李主R委員長、県商工会の金彰夫理事長をはじめ県内同胞ら9人が駆けつけ、李さん、妻の羅静代さん(63)の再出発を祝った。
同胞らは当日午後3時に店に集合した。それから午後7時までの約4時間にわたってビールと焼肉をほおばりながら、震災当時の話や復興までの苦労話などに花を咲かせた。 総連本部の李委員長は、「新たに開店した店を見るととても感慨深い。新潟の同胞を心配し、助けてくれた総連の活動家と同胞たちに感謝したい」と語った。 朝青本部の鄭晋浩副委員長は「7カ月前のことを考えれば、ここで食事をしているのがとても不思議な感じだ。確実な一歩を踏みだしたことがとてもうれしい」と語る。 また、パチンコ店が半壊した十日町市の李鉉秀さん(48)も昨年11月から営業を再開させている。当日はお店に駆けつけ李さん夫婦らを祝福した。
「店を再開する日は助けてもらった総連の専従活動家や朝青ボランティアのメンバーを必ず呼んで、お酒を酌み交わしたい」 今年1月27日、10数年ぶりに行われた 総連中越支部の新年会で、李さんはこう語った。 震災直後、自宅兼店舗が全壊し、住む所のなくなった李さん夫婦は車中での生活を余儀なくされた。食料も十分に届かない状態が続いた。そんな時に食料を届けるとともに心の支えとなったのが朝青ボランティアのメンバーだった。 「倒壊家屋のガレージの奥に挟まったまま出られなくなった車を引き出そう」 朝青のボランティアメンバーは震災当時、李さん夫婦の住む場所を確保するため、危険を顧みず作業に徹した。引き出すのが無理と思われた車がガレージの外に出てきた時には、全員が拍手して喜んだ。 「今日の開店は、苦しい時に助けてくれたみんなのおかげ。誰よりも真っ先に 総連活動家と朝青ボランティアのメンバーを呼びたかったが、来られなくてとても残念だ。今日ここで一緒に乾杯できればどれだけよかったことか。助けてもらったことは一生忘れない。妻もいるしここは一つがんばらなくては」 そして最後に、「とにかく根性。やればできるし、やらなければ何も起こらない」と笑い飛ばした。【資料提供=朝青新潟】 [朝鮮新報 2005.6.11] |