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「歌」という共通語

 私は歌うことを通じて、日常では味わうことのできない事柄に巡りあっている。

 年7〜15回の演奏を通して多くのすばらしい方々とも出会う。その中で1番印象深かったのは、初めて知的障害者の方の学園で歌わせていただいたときのことだ。

 演奏前は、それはそれは賑やかで、動き回る人もいて、私は内心穏やかではなかった。

 ところが、歌い始めると、この上なく上質な聴衆に早変わりした。

 私は驚いた。その素直な感性におじけづいたのだ。じっと見つめる眼差しに私は溶け込んでいった。その目は「只、心と心で語ろうよ」と、私に言い聞かせているように思えた。

 私はあの日から、何かが変ったのを強く感じている。

 そのうえ、演奏後、中年女性が、「私、朝鮮学校に行ってた、名前は○○○や!」とうれしそうに言った。すると後ろの方から若い人が、「ウチは韓国人や、名前は○○○!」と大声で言った。

 本命宣言だった!

 1番驚いたのは、日本人とばかり思っていた先生方だ。私は前にいた女性の手を握り、嗚咽した。

 1世の親達が名付け呼んでいた「名前」、その「名前」の記憶は、ウリノレの琴線に触れ、深い眠りから覚めたのだ。

 輝かしい瞬間だった。この体験は今も私の心を熱くする。

 見ず知らぬ者同士が「ウリノレ」を共通語に在日を認知し、感情を一体化する時を共有できるのは、私にとって大変な喜びである。それらは私に計り知れない勇気と優しさを与えてくれるコンコンとわき出る石清水のようである。(金桂仙、声楽家)

[朝鮮新報 2004.11.20]