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「音楽道先案内人」

 今思えばまぁ〜良く行ったものだと思う。2度とできない! 受験勉強も辛かったが、入学後がもっと大変!! 「高卒」扱いのため、わが子より若い新卒生と同じ単位を取らなくてはならなかった。

 当時短大には、15人ほど社会人がいたが高卒者は2人だけ。大卒生は、教養学は修得済と見なされ、単位は私の半分で、専門技術分野だけで済んでいた。

 2年間死ぬ思いでついていった。

 卒業演奏会にも出演し、あとは卒業のみと思っていたある日、門下のS先生が「金さん、出たらもう来れないし、この勢いで編入試験受けたら」と、言いはった。

 結局家族に勧められ受験し4年制へ、さらに専攻科と5年間の女子大生生活を送ったのだ。

 その間、更年期に晒され、伊語、独語にうなされ、歌詞に振り回され、オペラで死にかけたりと事かかなかった。

 修了後は不思議と更年期も和らいだ。振り返れば貴重な体験の日々で、非日常すら有った。

 今は、行けてよかったと思う。

 すばらしい先生、友人との出会い。家族をはじめ多くの諸先輩、後輩、親、友だちの暖かい声援と励ましに気づかされたことなどは、何物にも変えられない私の心の宝物だ。

 夢を諦めないでほしい。夢を秘め、現実の壁を乗り越えてほしい。夢はいくつになっても見られるもの。これからは在日としての思いを歌に託して、唱いつつ、若人達の音楽道先案内人として、歩んでいければと願っている。そして、いつかすばらしい在日音楽家が育つのを「夢」見て、まっしぐら!(声楽家、金桂仙)

[朝鮮新報 2004.8.9]