心の居場所 |
春が過ぎてゆく。誕生日も春なので、ワタシ的には節目である。
大台に乗ってしまった。けれど、子どもの頃のように1つ歳をとったのをかみしめて味わう余裕などはない。時間は、私の目の前を嵐のように過ぎ去り、待って! と手をのばしてみたところで、つかむことなどできそうにない。次から次へとやってくる事柄を片づけるのに精一杯。どうやら歳は、とればとるほど早くなるものなのかしら。 近くの、滄浪泉園というところに行った。むかし、誰かの別荘だったというその庭園には湧水があり、隣には「水琴窟」がある。ひしゃくで水を取り、飲んだり手を洗ったりすると、残った水はこぼれ落ちて、それが音を奏でる。流れる水の音、跳ね返る水の音、一度として同じ調べはない。 キーン、コーン…。目を閉じて、ただ、聴く。独り佇んで、暫しその世界に浸る。自分を取り戻す、私だけの時間。キーン、コーン…。 「くまのプーさん」で有名な児童文学家のアレキサンダー・ミルンは、プーをして、誰にも立ち入れない自分だけの居場所を、「solitude」という詩に託している。教育者で詩人の周郷博さんはそれを、「寂しく独りぼっち」とは、訳さなかった。自分だけの時間と空間を、「ぼくであること」と訳されたのである。大人でも子どもでも、世間の喧騒から離れて自分を確認する、そんな心の居場所を大切にしたい。 気配を感じて目を開けると、ヤモリが、咲き始めた紫陽花の茂みの中に入っていくのが見えた。(辺貞姫、主婦院生) [朝鮮新報 2004.6.7] |