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女性詩人の作品−女性の前にあるものは・・・

 最近「詩」にハマッている。最初は朝鮮の漢詩で、中世の女性たちが書いたものだった。

 古朝鮮から19世紀末までの間、わが国の詩文学史に名を残した46人の女性詩人たちの抒情詩120編が収録された詩集。そこには、男尊女卑の封建的儒教倫理により、人間としての尊厳を奪われた女性たちのため息と涙が込められていた。

 作者の大半が妓女であるため、作品には実らぬ恋を歌ったものが多いが、彼女たちの作品が長い歳月を経て今日に伝えられたのは、厳しい身の上でも清い心を持ち続けようと身悶えした人間の姿が、不条理な社会に対する憤りや抵抗の情緒と結びつくからだろう。

 日本の女性詩人、石垣りんの作品に「私の前にあるお鍋とお釜と燃える火と」というのがあるが、そこには「女の前に置かれてあったもの」として、ほどよい大きさの鍋と、お米がふくらむのに都合のいい釜、劫初から受け継がれた火のほてりが挙げられ、その前に立つ母、祖母、またその母たちの姿が描かれている。詩人は、無意識なまでに日常化した奉仕の姿を「不幸なこと」とは思わず、「そのために知識や世間での地位が立ち遅れたとしても遅くはない、お芋や肉を料理するように深い思いをこめて、政治や経済や文学も勉強しよう、それはおごりや栄達のためでなく、全部が人間のために供せられる、全部が愛情の対象あって励むように」と歌っている。

 先日、若輩者ながら、朝鮮大学校で初の講義をする機会に恵まれた。女子学生たちの意欲的な眼差しと時間を超えての質問がとても印象深かった。今、女性の前にあるものは…。そんな思いにグッと身が引き締まるようだった。(潤)

[朝鮮新報 2004.11.29]