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コッソンイ−朝鮮語での豊かな表現

 今年も本社主催の、在日朝鮮学生「コッソンイ」文学作品コンクールの審査がはじまった。初級部3年から高級部までを対象とした朝鮮語での作文コンクール。

 学生だったころ、先生の指導を受けて何度も「コッソンイ」に応募した。はじめは初級部3年で、父親から祖国訪問の土産でもらった金剛山の絵葉書に自分の写真を切り抜いて、さも行ってみたかのように貼り付けたというもの。4年生のときは「学級新聞」の取材をした経験を綴った。その後は、何か作り話を書いたり詩を書いたり…。

 何度も書き直しをさせられたのは辛かったが、「なんでそう思ったの?」「何が見えたか思い出してごらん」といった丁寧な指導のおかげで手の痛みとは別に胸の中には「楽しさ」がどんどんふくらんでいくような気持ちがした。

 ある言語学者の話によると、異国の地で母国語による「綴り」を十分にするのは2世までが「限界」との見方があるという。よって、在日3世の若い記者たちが母国語で記事を書いている「朝鮮新報」は、「奇跡にも近い、たいへん興味深い研究対象」となるそうだ。

 「聞く」「読む」「書く」と言った言語教育のうちもっとも高い位置にあるのが「綴る」ということ。これは、半世紀にも及ぶ民族教育の賜物ともいうべきだが、「世界中どこを探してもこのような例(3世以降の世代が母国語で綴るということ)はない」という。

 世代が変わり、若者たちの言葉の乱れはいなめない。3世から4世へ、受け継がれていく「母国語」をもっと大事に扱いたい。(潤)

[朝鮮新報 2004.11.15]