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高句麗の夜空−ロマン誘うキトラ天文図

 キトラ古墳に描かれた「星座の原図は高句麗」という本紙25日付のトップ記事をご覧になった読者も多いと思う。

 天文図から緯度を割り出した宮島一彦・同志社大学教授(東アジア天文史)は、「原図は高句麗で作られた可能性が強く、現存する世界最古の天文図」と評価する。

 キトラの天文図の内規は37度半、ちょうど平壌付近にあたる。宮島教授は「キトラの原図が高句麗で作られ、そのまま天文観測に使われたことは間違いなかろう」と指摘する。

 キトラ古墳の星座は金箔で表現され、68の星座と約350個の星が確認されている。漆喰が剥落しているために、消失した星も多いと見られている。この天文図にもっとも近いとされているのが、朝鮮王朝の時代に作られた「天象列次分野之図」。同図に付記された銘文から、原図となった石刻星図が高句麗の都・平壌にもともとあり、唐・新羅連合軍と高句麗との戦乱で大同江に沈んだことが分かる。

 古代史研究者の全浩天氏は「平壌城が陥落するとき石刻天文図の写しが少くとも2枚あって、そのうちの1枚がソウルにわたって『天象列次分野之図』の手本となり、もう1枚は奈良・明日香の地に渡ってキトラ古墳の天文図の手本になった」と推測する。橋本敬造・関西大学教授(科学技術史)も、沈んだ石刻星図の拓本かそれをもとにした星図が日本に伝わり、キトラ古墳の原図になったと指摘、さらにやや時期の遅れる高松塚古墳では、キトラ星図をもとに周極星の位置を決めた可能性が高いと推定する。

 夏空をながめて、古代の人々の息づかいを感じてみよう。(粉)

[朝鮮新報 2004.8.30]